増島蘭園~東京易儒墓参録~
- 2014/07/21
- 10:17
増島蘭園墓(乗満寺・世田谷区北烏山5-7-1)
増島蘭園(1769~1839)は、明和6年に幕府書物奉行増島澧水(1745~1812)の男として江戸で生まれ、名は信行・固、字は孟鞏、通称は金之丞といい、蘭園・蘭畹・櫧陰・石原愚者・不俗庵主人・雲柯と号した。
家学を受け、また古賀精里(1750~1817)に従学して朱子学を修める。
寛政2年(1790)、昌平黌に学ぶ。
同11年(1799)、大御番となり、文化4年(1807)に昌平黌出役。
同9年(1812)、家督を相続し、同11年(1814)に御儒者となった。
経書だけでなく、本草学に通じ、絵画も能くした。
易書には、
『易学啓蒙鉤深図』
『易学啓蒙翼図』
『読易小言』
などがある。
墓所のある乗満寺は、もとは上野に在ったが、関東大震災後の大正13年に北烏山へ移転した。
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