山本北山~東京易儒墓参録~
- 2014/07/23
- 14:50
山本北山墓(本念寺・文京区白山4丁目34−7)
山本北山(1752~1812)は、宝暦2年に富裕な幕府御家人の家に生まれ、名は信有、字は天禧、通称は喜六といい、北山・孝経楼・奚疑堂主人・奚疑翁・学半堂逸士・竹堤隠逸と号し、述古先生と諡された。
山崎桃渓に句読を受け、独学で四書五経を修め、のち井上金峨(1732~1784)の折衷学に共鳴し、もっとも経学に優れていた。
寛政異学の禁に反対論を唱え、五鬼の一人に数えられた。
寛政4年(1792)、羽後秋田藩の招聘に応じて儒臣となり、江戸藩邸日知館で教授した。
門人も多く、特に高弟の十名は“北山門十哲”と呼ばれ、そのうち、大田錦城(1765~1825)・山中天水(1758~1790)・朝川善庵(1781~1849)は既にご紹介した。
易書に
『易象義解』
『京房易伝解』
がある。
墓碑は、親友だった亀田鵬斎(1752~1826)の撰文。
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