桜田虎門~仙台易儒墓参録~
- 2014/07/27
- 10:25
桜田虎門墓(阿弥陀寺・仙台市若林区新寺3-5-3)
桜田虎門(1774~1839)は、安永3年に仙台藩士桜田景明の男として仙台で生まれ、名は質・景質、字は仲文、通称は周輔といい、虎門・鼓缶子・欽斎と号した。
はじめ仙台藩儒の志村東嶼(1752~1802)に学び、寛政3年(1791)に江戸へ出て、同8年、服部栗斎(1736~1800)に入門し、栗斎の麹渓書院で教授した。
文化4年(1807)、仙台藩儒となり、江戸藩邸内に順造館を創立、さらに国元に戻って、藩校養賢堂で講書した。
博学で、儒学だけでなく、兵法・本草・天文・暦術などに通じていたが、今日特に占法家の間では、虎門は四柱推命の元祖的存在として知られているようだ。
虎門は、文政元年(1818)に『推命書』の題で、徐子平の『淵海子平』を訳出し、これが本邦最初の推命書とされている。
この訳業の水準は、さほど高いものではなかったらしいが、パイオニアとして虎門の名は推命家の間で特に知られているのである。
現在購入出来る虎門の著述としては、文化13年(1816)刊行の『五行易指南』が八幡書店から復刻されている。
易書としては、
『易学啓蒙摘説』
『易伝私考』
『太極図説考』
などがある。
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