田辺楽斎~仙台易儒墓参録~
- 2014/07/29
- 18:33
田辺楽斎墓(保寿寺・仙台市若林区連坊小路108)
田辺楽斎(1754~1823)は、宝暦4年に仙台藩士香曾我部氏の臣野中匡広の男として仙台で生まれ、名は匡勅、字は子順、通称は三郎助といい、中洲・楽斎と号した。
大森清好に句読を受け、のち田辺晋斎(1692~1773)とその子損斎(1721~1783)に師事した。
14歳で京都に遊学、久米訂斎(1699~1784)・宇井黙斎(1725~1782)に就学して経史を修め、さらに江戸で渋井太室(1720~1788)・関松窓(1727~1801)に従学。
帰藩後、田辺損斎の支族となり、以後田辺姓を名乗った。
伊達斉宗(1796~1819)の侍読を勤め、安永9年(1780)に藩校養賢堂の初代学頭となった。
易書には
『易学啓蒙筆解』
がある。
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