『傷寒論』の種々のテキストについて②
- 2014/08/19
- 18:27
医史学に特別の関心を持たない臨床主体の漢方家にとって、『傷寒論』流伝の歴史と其の考証は、何が何やらさっぱり解らない奇怪なまでの難解さを持つ。
とはいえ、底本の選択は研究の根幹に関わる主題であり、おざなりにすることは勿論出来ない。
私も専門的にこれ等のテキストを追いかけて来た訳ではないので、浅薄な耳学問に過ぎないけれど、その耳学問の備忘録を以下に記しておく(誤りがあれば御指摘頂きたい)。
古く『肘後方』『鍼灸甲乙経』『小品方』などには、『傷寒論』の抄録があり、巣元方の『諸病源候論』にも多く『傷寒論』の内容が含まれている。
唐代の孫思邈の著『千金翼方』の巻九巻十には、『傷寒論』の大部分の内容が含まれ、一般にこれを『唐本傷寒論』と呼んでおり、同じく唐代の『外台秘要』にも『傷寒論』が多く引用されている。
北宋に入ると、開宝年間(968~975)に高継沖が宋朝の節度使に任ぜられた際、傷寒論を宋政府に献上したが、その後、淳化三年(992)に『太平聖恵方』が編纂されるにあたり、その中に高継沖本がとり入れられたと言われ、『太平聖恵方』中の傷寒部分は、今日『淳化本傷寒論』と呼ばれ、内容は唐本に近い。
北宋の英宗治平2年(1065)には、高保衡、孫奇、林億らが校正医書局において校正・復刻(宋改)を行い、大字本および小字本が出版された。
林億らによる宋改本の原本は失伝して今日見ることが出来ないが、小字本の宋改本系にあたるものとして、明・趙開美刻『仲景全書』(1599年)中の『翻刻宋板傷寒論』が現存しており、この書は一般に『趙開美本傷寒論』と呼ばれ、その最善本は、元・鄧珍本『新編金匱方論』、明・呉遷本『金匱要略方』と合わせて日本東洋医学会より『善本翻刻 傷寒論・金匱要略』(2009年刊)として刊行されている。
南宋に入ると、成無己が『宋板傷寒論』を省略改変したものに注を付け、『注解傷寒論』(1144年)を書いたが、これは『傷寒論』の注釈としては最初のものであり、この系統の『傷寒論』は江戸時代に特に流布して強い影響を与えた。
日本では、他にも最澄が持ち帰ったとされる『康治本傷寒論』や空海が齎したとされる『康平本傷寒論』などがあって、特に後者は大塚敬節先生が昭和11年に発見したということで、現在でも大塚先生の影響が強い日本の漢方界では少なからずテキストに用いられている。
粟島先生は、康治本も康平本も共に偽書とする立場に立っておられ、テキストには校正宋板を穏当なものとして使用しておられた。
中国では、近代に入って『桂林古本』や『長沙古本』『四川古本』など怪しげなテキストが見出されているが、日本ではあまり関心を持たれていないようだ。
とはいえ、底本の選択は研究の根幹に関わる主題であり、おざなりにすることは勿論出来ない。
私も専門的にこれ等のテキストを追いかけて来た訳ではないので、浅薄な耳学問に過ぎないけれど、その耳学問の備忘録を以下に記しておく(誤りがあれば御指摘頂きたい)。
古く『肘後方』『鍼灸甲乙経』『小品方』などには、『傷寒論』の抄録があり、巣元方の『諸病源候論』にも多く『傷寒論』の内容が含まれている。
唐代の孫思邈の著『千金翼方』の巻九巻十には、『傷寒論』の大部分の内容が含まれ、一般にこれを『唐本傷寒論』と呼んでおり、同じく唐代の『外台秘要』にも『傷寒論』が多く引用されている。
北宋に入ると、開宝年間(968~975)に高継沖が宋朝の節度使に任ぜられた際、傷寒論を宋政府に献上したが、その後、淳化三年(992)に『太平聖恵方』が編纂されるにあたり、その中に高継沖本がとり入れられたと言われ、『太平聖恵方』中の傷寒部分は、今日『淳化本傷寒論』と呼ばれ、内容は唐本に近い。
北宋の英宗治平2年(1065)には、高保衡、孫奇、林億らが校正医書局において校正・復刻(宋改)を行い、大字本および小字本が出版された。
林億らによる宋改本の原本は失伝して今日見ることが出来ないが、小字本の宋改本系にあたるものとして、明・趙開美刻『仲景全書』(1599年)中の『翻刻宋板傷寒論』が現存しており、この書は一般に『趙開美本傷寒論』と呼ばれ、その最善本は、元・鄧珍本『新編金匱方論』、明・呉遷本『金匱要略方』と合わせて日本東洋医学会より『善本翻刻 傷寒論・金匱要略』(2009年刊)として刊行されている。
南宋に入ると、成無己が『宋板傷寒論』を省略改変したものに注を付け、『注解傷寒論』(1144年)を書いたが、これは『傷寒論』の注釈としては最初のものであり、この系統の『傷寒論』は江戸時代に特に流布して強い影響を与えた。
日本では、他にも最澄が持ち帰ったとされる『康治本傷寒論』や空海が齎したとされる『康平本傷寒論』などがあって、特に後者は大塚敬節先生が昭和11年に発見したということで、現在でも大塚先生の影響が強い日本の漢方界では少なからずテキストに用いられている。
粟島先生は、康治本も康平本も共に偽書とする立場に立っておられ、テキストには校正宋板を穏当なものとして使用しておられた。
中国では、近代に入って『桂林古本』や『長沙古本』『四川古本』など怪しげなテキストが見出されているが、日本ではあまり関心を持たれていないようだ。
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