青洲の里を歩く
- 2014/09/29
- 18:22
名手駅からは案内版だらけ
JR名手駅から北東へ徒歩20分ほどの場所に、青洲ら華岡家の墓所があるが、付近には青洲の記念公園やミュージアムがあり、ハイキングがてら降り立ってみるのも楽しい。
駅からはそこかしこに案内板があるので、方向音痴でも迷子になる心配は御無用。
ようやく“青洲の里”へ。
緩やかな上りの20分は結構キツイ。
華岡青洲座像(青洲の里内)
青洲の里に足を踏み入れるとまず目につくが、写真の座像である。
右の石碑には、青洲の理念である“活物窮理”と刻まれている。
復元された春林軒
現在、青洲の里には住居兼診療所であった春林軒が復元されており、内部も拝観出来る。
華岡青洲顕彰記念公園の入り口
墓所の近くには、那賀ライオンズクラブが設立30周年の記念事業として造った「医聖・華岡青州顕彰記念公園」がある。
階段を上った所が墓所である。
公園の説明版と公園奥にある石碑
公園の奥にある石碑には、青洲自作の漢詩が刻まれている。
この公園なかなか工夫して造られており、公園全体が手術に使うメスの形をしていて、石碑が頭部を表し、肋骨に象った石柱など、人体を表現しているという。
やってくれるぜ、ライオンズクラブ!
垣内池と畔に立つ青洲の歌碑
青洲の里を出て、県道127号線を北へ500メートルほど行くと、写真の垣内池が左手に見えてくる。
青洲は、50歳の時、干魃と貧困に苦しむ農民の為に、私財を投じてこの池を拡大するという慈善事業を行った。
池の畔にある歌碑には、
水みたば 心をこめて 田うえせよ 池の昔を 思ひわすれず
と刻まれているそうだが、現在ではよく読みとれない。
名手から西へ一駅隔てた粉河の山手には、森田節斎(1811~1868)の墓所もあり、こちらもいずれ御紹介しようと思う。
安岡正篤先生は、節斎の孫弟子に当たる。
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