丹波康頼供養塔
- 2014/11/06
- 20:02
丹波康頼供養塔(金輪寺/京都府亀岡市宮前町宮川神尾山3)
亀岡市の北西にある神尾山金輪寺には、丹波康頼の供養塔(遺髪塔とも言われる)がある。
同寺は西願上人が延暦2年(783)に建立したと伝えられる古刹で、聖護院の末寺である。
本堂前にある石造の五重塔は鎌倉初期のもので、重文指定を受けている。
終戦の末頃までは、門前に「丹波康頼公墓所」という大きな立札があったらしいが、台風で破損してからは再建されていないそうだ。
本尊の薬師如来を寄進したのは、康頼の六代後裔の丹波基康(典薬頭・従四位上)と言われ、その際に康頼の念持仏(康頼以来代々の)であった高さ一寸八分の金の仏像を胎内に納めて寄進した縁により、康頼の供養塔を裏山にある歴代住職の墓地に建てたものという。
御住職に伺ったところでは、江戸の多紀元簡(1755~1810)も参拝しているらしく、新しいところでは、槇佐知子氏も度々訪れているそうだ。
なお、『京の医史跡探訪』の中で、著者の杉立先生は、二基の五輪塔のうち、左が開山のもので、右が康頼のものとしておられるが、御住職は左側が康頼のものと言っておられたので、写真は左側の五輪塔を掲載した(右に少し写りこんでいるのが杉立先生が紹介されている五輪塔である)。
丹波康頼肖像(『医家先哲肖像集』藤浪剛一編より)
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