安藤昌益の墓
- 2014/11/28
- 17:52
JR扇田駅
安藤昌益の墓参のため、菩提寺の最寄り駅である扇田駅に降り立ったのは、2011年7月11日の昼下がりのことだった。
当時、すでに目ぼしい漢方家の墓参はあらかた終えていたが、東北はさすがに遠くて中々踏ん切りがつかずにいた。
いつもの激安夜行バスプランで決行しようにも、そもそも大阪と秋田の直通便は廃止されて久しい。
仙台までは直通便があるので、そこから電車で移動するプランも考えてはみたのだが、秋田に到着するだけで一日かかってしまうため、これは効率的ではない。
「えきから時刻表」を駆使してたどり着いた結論は、今考えるとキチ○イじみた千日回峯顔負けの計画だった。
その計画とは、こうである。
いつものように夜行バスで東京へ行く → 東京で墓を回り倒す → その日の晩に東京発秋田着の夜行バスに搭乗 → バスが着く大曲から青春18きっぷを駆使して墓参開始 → 刈和野の根本通明顕彰碑 → 秋田の平田篤胤墓 → 土崎で下車しタクシーで根本通明墓 → 土崎に戻り扇田の安藤昌益墓 → 鈍行で秋田駅へ戻り、東京着の夜行バスへ搭乗 → 翌日初の夜行バスで大阪へ
文章にすると何だか効率的なプランに思えるが、4日連続のバス泊が続く殺人的スケジュールである(しかし交通費は驚くなかれ2万円程度)。
実際に、最終日は昏睡に近い状態で山手線をグルグルしていた記憶がある。
扇田は比内鶏のふる里だそうだ。
人っ子一人居ない田舎道をトボトボ歩く。
数か所に新し目の案内板がある。
ついに到着した菩提寺の温泉寺(徒歩40分程度)
安藤昌益の墓はすぐに見つかった。
予想以上にこじんまりとしており、木製の標識がいやに激しく自己主張している。
この後、徒歩で扇田駅へ引き返したのだが、5分の差で秋田へ戻る電車に乗り遅れ、2時間30分も無人駅で待つ羽目に・・・。
7月はさすがに東北も暖かかろうと踏んでいたので、Tシャツ一枚だったのだが、折から降り出した霧雨も加わって、急に寒くなり、終いには悪寒までしてくる始末であった。
しかし、振り返ってみると、もう二度と再現出来ない強行軍である。
印象的であったのは、秋田で遭遇した女子高生たちの朴訥さと清純さで、都会で見かけるようなアホ丸出しの金髪娘など、東北では終ぞ見かけなかった。
しかも、前日までの東京と違って、スマホを持っている人もほとんど見かけなかった。
すでに三年以上も前のことであり、現状はよく判らないが、当時は何だか昭和の気配すら漂っていたと言っては、東北に対する偏見と受け取られようか。
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