南北先生墳(金戒光明寺黒谷墓地)
相聖水野南北の命日は天保5年11月11日であるが、これは現在のグレゴリオ暦に直すと1834年の12月11日になり、今日が没後ちょうど180年に当たる。
当初、法輪寺を訪れて、ささやかな供養をさせて頂こうと、ご住職にも相談していたのだが、親知らずの抜歯手術がたまたま今日に決まってしまい、参拝が出来なくなってしまった。
はなはだ不本意ではあるのだが、術後の安静を申しつけられている上、生憎の雨なので、供養に代えて記事をアップさせて頂くことにする(年末に青木良仁先生らと黒谷墓地は参拝予定)。
南北先生墳の後方には、南北のパトロンで『修身録』を施本した小西喜兵衛累代の墓碑もある。
南北の高弟であった小西氏は道修町で山帰来を扱う商店を営み、その後も代々“喜兵衛”の名は世襲され続けたが、8年前に最後の喜兵衛氏が96歳で他界され、喜兵衛号は用いられなくなった(ご子孫は未だ健在という)。
なお、道修町の小西氏といえば、小西ボンドをすぐに思い浮かべるが、ボンドの小西氏(こちらも元は山帰来商)とは血縁ではないらしい。
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