杉本樗園の墓~東京漢方史跡~
- 2014/12/17
- 18:32
杉本樗園墓(瑞輪寺/台東区谷中4-2-45)
医学館考証派を代表する儒医である杉本樗園(1770~1836)は、明和7年に幕府医官・宮村永順受正の男として生まれ、名は良、字は子敬、通称を幸太郎・忠恩・仲温といい、樗園・樗苑・宗春院と号した。
同じく幕府医官の杉本良猷の養子となり、天明元年(1781)に家を継いだ。
寛政6年(1794)御番医師、同9年には西城侍医と累進し、法眼に叙せられた。
文化5年(1808)本城侍医となり、同12年には法印に登った。
代々外科が専門であったが、一代本科に転業することを許された。
多紀元簡の没後、代って医学館を主導した。
また、佐藤一斎とは親交があり、嗣子・懿則の三女は佐藤一斎の嗣子・立軒に嫁いでいる。
著書に
『読傷寒論』
『金匱集説』
『難経滑義補正』
などがある。
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