原氏墓所~東京漢方史跡~
- 2014/12/19
- 18:45
原氏墓所(洞泉寺墓地/文京区本駒込3-19-4)
本駒込の洞泉寺には、儒医・原双桂(1718~1764)ら原一族の墓所があり、昭和39年には東京都の史跡指定を受けている。
原双桂墓
本邦初の温泉医学の研究で知られる原双桂(1718~1764)は享保3年に京都で生まれ、名は瑜、字は公瑶、通称を三右衛門・尚庵といい、双桂と号した。
10歳で伊藤東涯(1670~1736)に古学を、山脇玄心(1594~1678)に医学を学ぶ。
外祖父芸庵を頼って江戸に出、青木昆陽(1698~1769)、野呂元丈(1694~1761)らと交わった。
延享2年(1745)肥前唐津藩の侍医となり、藩校盈科堂で教授した。
宝暦12年(1762)藩主土井利里(1722~1777)の移封に伴い下総古河に移り、盈科堂学監となる。
明和4年、出府後まもなく没。
著書に
『傷寒私断』
『仲景辨傷寒総論』
などがある。
原敬仲墓
原敬仲(1748~1793)は、双桂の次男で、古河藩儒となったが、のち江戸に出て幕府に仕え、寛政5年に46歳で没した。
原念斎墓
原念斎(1774~1820)は、敬仲の子で折衷学派の山本北山(1752~1812)に学んだ。
文化13年(1816)に著した『先哲叢談』は、儒学者の言行・逸話・詩などを資料として記述した歴史書で、近世儒学史の名著として知られている。
墓碑銘は佐藤一斎(1772~1859)による。
原徳斎墓
原徳斎(生没年不詳)は、志賀理斎(1762~1840)の子として京都に生まれ、念斎の養子となり、北根岸村に住み、『先哲像伝』を著した。
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