瀬丘長圭の墓~東京漢方史跡~
- 2014/12/21
- 10:42
瀬丘長圭墓(長泉寺/文京区本郷5-6-1)
長泉寺には、岑貉丘の他に、もう一人外せない古方家の墓所がある。
瀬丘長圭(1733~1781)は、享保18年に生まれ、名は珽、字を長圭・長珪といい、自得軒と号した。
吉益東洞の門に学ぶ。
東洞流では腹診を重視するが、長圭はこれをさらに探求して、独自の腹診を体系化し『診極図説』を著した。
「日本漢方腹診叢書」(オリエント出版社)における松本一男氏の解説では、稲葉文礼『腹証奇覧』や和久田叔虎『腹証奇覧翼』など傷寒論系腹診の代表の如き医書も、『診極図説』の延長上にあるものとしている。
安永10年、49歳で死去。
瀬丘長圭肖像(『医家先哲肖像集』藤浪剛一編より)
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