伊沢蘭軒墓(長谷寺/港区西麻布2‐21‐34)
伊沢蘭軒(1777~1829)は、安永6年に江戸の本郷で生まれ、名は信恬、字は憺甫、通称を辞安といい、蘭軒・酌源堂などを号とした。
泉豊洲(1758~1809)につき経学を学ぶ(同門に狩谷棭斎がいる)。
父の後を嗣いで備後福山藩医となり、文化3年(1806)長崎奉行曲淵景露に従って長崎に行き、翌年、江戸に帰った。
漢詩を能くし、菅茶山や
頼山陽、
亀田鵬斎らと交流した。
著書に
『傷寒論輯義筆記』
『千金方紀聞』
などがある。
“蘭門五哲”と呼ばれる五人の高弟のうち、
森立之と
渋江抽斎を既にご紹介している。
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