伊藤圭介の碑~愛知漢方史跡~
- 2014/12/28
- 13:31
伊藤圭介先生之碑(平和公園光勝院墓地/名古屋市千種区平和公園2丁目)
伊藤圭介(1803~1901)は、享和3年に名古屋の町医西山玄道(1752~1843)の次男として生まれ、名は舜民、字は戴尭・清民・左仲、通称を圭介といい、錦窠・太古山樵・花繞書屋・十二花楼・脩養堂と号した。
洋学を藤林泰助(1781~1836)に、本草学を水谷豊文(1779~1833)に学ぶ。
文政10年(1827)江戸に出、宇田川榕菴(1798~1846)と交わり、続いて長崎に赴いてシーボルト(1796~1866)の許で博物学を研究、帰郷して蘭方医として開業した。
また、幼少より植物を好み、全国各地で植物を採集、分類研究に没頭し、我が国植物学の基礎を確立した。
明治14年、東京大学教授となり、同20年には日本で最初の理学博士となった。
今日誰もが知るところの「雄しべ」「雌しべ」「花粉」などの植物用語は圭介が作ったものである。
基本的には蘭方医であり、著述も蘭医や植物学に関するものが多いが、
『傷寒雑病論集講義』
『傷寒雑病論集発端』
が記載されているため、漢方史跡として御紹介した。
他に『易経講義』などの著作もあるようだ。
名古屋の平和公園にある顕彰碑は、養子の伊藤延吉、孫伊藤篤太郎が昭和34年に建立したものである。
伊藤圭介墓(谷中霊園)
墓所は、東京の谷中霊園内にある。
東京漢方史跡として紹介するか迷ったが、愛知の史跡が少なかったので、こちらに回した次第。
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