浅井貞庵の墓~愛知漢方史跡~
- 2014/12/29
- 13:45
浅井貞庵墓(常楽寺/名古屋市千種区城山町2-47)
浅井貞庵(1770~1829)は、明和7年に医の名家浅井家に生まれ、名は正封、字は尭甫、通称を小藤太・平之丞といい、貞庵・槲園・静観堂、文燭亭と号した。
浅井家は、享保10年(1725)初代東軒(1672~1753)が尾張六代藩主継友によって京都から召されて藩医となり、明治2年に尾張医学館が廃止されるまで、代々尾張の医学振興に尽くした。
貞庵は、8歳で父母を失い、祖父図南(1706~1782)に養われた。
天明2年(1782)図南が没し、尾張藩医の職を嗣ぐ。
朱子学を中村習斎(1719~1799)に、詩文を岡田新川(1737~1799)に学んだ。
医学館では、素問・霊枢・傷寒論・金匱要略・本草備要・薬性歌括・本草綱目を講じて門人は三千人に及び、著述は『方彙口訣』『薬性和解』など三十四部に達した。
また、『易経講義』なる著述もあるという。
浅井国幹先生顕彰記念碑
浅井家の墓所がある常楽寺の駐車場には、昭和50年に建立された浅井国幹(1848~1903)の顕彰碑がある。
国幹は、明治期に山田業広(1808~1881)や浅田宗伯(1815~1894)らと共に新政府による漢方医学廃絶に反対して運動した人で、浅井家十代目の当主である。
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