松原一閑斎の墓~京都漢方史跡~
- 2015/01/17
- 11:14
松原一閑斎墓(迎称寺/左京区浄土寺真如町22)
松原一閑斎(1689~1765)は、長門萩藩士松原惣右衛門の末男として元禄2年に生まれ、名は維岳・圭介、字は慶輔、通称を才二郎といい、一閑斎と号した。
主家を去って京都に移り、並河天民に学ぶ。
最近、一閑斎の評価は高まって来ており、従来の「名古屋玄医→後藤艮山→山脇東洋」という古方派の流れよりも、「並河天民→松原一閑斎→吉益東洞」の流れのほうが『傷寒論』発掘の流れとして明確であるとされるようになって来たことから、著述無き為に従来ほとんど顧みられることのなかった天民や一閑斎にも注目が集まっているようだ。
今後更なる研究が期待される医家であろう。
墓所のある迎称寺は、先に紹介した松本愚山の大興寺に隣接している。
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