稲生若水の墓~京都漢方史跡~
- 2015/01/18
- 12:05
稲生若水墓(迎称寺/左京区浄土寺真如町22)
松原一閑斎の墓所がある迎称寺には、我が国本草学の始祖・稲生若水(1655~1715)も眠っている。
若水は、明暦元年に山城淀藩江戸藩邸に生まれ、名は宣義、字は彰信、通称を正助といい、若水・白雲道人と号した。
儒を父と木下順庵に、本草を大阪の福山徳潤に学び、本草学を志す。
延宝年間に主家の除封により流浪し、京都に移住した。
元禄6年(1693)加賀前田侯に儒者として仕え、金沢と京都を往復し、本草の著述に専心、前田綱紀(1643~1724)の命を受けて『庶物類纂』の編述を行った。
門下から松岡恕庵らを輩出した。
後の我が国の本草家は、ほとんど若水の系譜に連なっており、まさに若水こそ日本本草学の始祖と呼ぶに相応しい。
稲生若水旧墓碑
現在、稲生家の墓所にある若水の墓碑は、近年改修されたもので、旧墓碑は無縁墓域に保存されている。
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