松岡恕庵の墓~京都漢方史跡~
- 2015/01/19
- 18:05
松岡恕庵墓(妙心寺光国院/右京区花園寺ノ中町2)
松岡恕庵(1668~1746)は、寛文8年に京都で生まれ、名は玄達、字は成章、通称を恕庵といい、怡顔斎・苟完居・埴鈴・真鈴潮翁と号した。
山崎闇斎および伊藤仁斎から儒学を、稲生若水から本草学を、浅井周伯(1643~1705)から医学を学ぶ。
町医を業とする一方、儒学を講じたが、本草学の講筵に多くの聴講者が集まり、門下から小野蘭山や浅井図南らを輩出した。
享保6年(1721)幕命により江戸医学館に招かれ、集められた本草の薬事検査に従事した。
著作は多いが、私は特に『用薬須知』を紐解くことしばしばである。
恕庵の墓碑は、もと妙心寺塔頭実相院にあったが、大正元年に移転し、現在は光国院にある。
松岡恕庵肖像(『医家先哲肖像集』藤浪剛一編より)
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