斎宮静斎の墓~京都漢方史跡~
- 2015/01/21
- 18:52
斎宮静斎墓(等持院/北区等持院北町63)
斎宮静斎(1729~1778)は、享保14年に安芸で生まれ、名は必簡、字は大礼・叔子、通称を少助・五右衛門といい、静斎と号した。
農家の出であるが、学を好んで、服部南郭に徂徠学を学ぶ。
京都で講説する傍ら、医を業とした。
和田東郭も一時期その門に学んでいる。
安永2年(1773)伊予松山藩に招かれ、『尚書説命篇』を講じた。
諸侯でその講説を聴く者が多く、有栖川宮より「文憲先生」の諡号を賜わった。
著書には、
『傷寒論微辞辨』
『傷寒論特解』
などの医書の他、
『繋辞伝釈』
『易大意』
といった易書もあるようだ。
墓所は、『京都名家墳墓録』によると、等持院の旧塔頭福泉院とあるが、私が調査したところ、この場所は現在立命館大学の敷地内のようである。
同寺の調査は一昨年の春に青木良仁先生と共に行ったが、すでに無縁として処理されたものと諦めかけた時、本堂南側の新しい墓域に当該墓碑を発見した。
どうやら、まだ御子孫が健在のようである。
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