和久田叔虎の墓~京都漢方史跡~
- 2015/01/27
- 19:13
和久田叔虎墓(西園寺/上京区寺町通鞍馬口下る高徳寺町358)
和久田叔虎(1768~1824)は、明和5年に生まれ、名は寅、字は子清・叔虎、通称を豹吉・要人といい、意仲と号した。
寛政5年(1793)に浜松で稲葉文礼(??~1805)と出会い、文礼から腹診法を伝授される。
寛政8年(1796)、皆川淇園に入門して漢学を学んだ。
寛政10年(1798)、江戸に移住。
文化6年(1809)、師文礼の著『腹証奇覧』中の誤りを正し、不足を補った『腹証奇覧翼』を刊行した。
稲葉文礼は大阪で没している為、手を尽くして墓所の所在を調査したが、未だ明らかではない。
京都などと違い、大阪は無縁墓の処理が迅速な為、早くに無縁となって処分されたか、或いは廃仏毀釈を受けて菩提寺ごと消滅したものか。
和久田家は、幸い現在も存続中とのことである。
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