芳村玄恂の墓~京都漢方史跡~
- 2015/01/28
- 18:52
芳村玄恂墓(西園寺/上京区寺町通鞍馬口下る高徳寺町358)
芳村玄恂(1678~1757)は、延宝6年に生まれ、名は叟、字は如也、通称を玄恂といった。
京都(一説に大和)の人で、代々医を業とする。
14歳で伊藤仁斎に学び、医学を名古屋玄医に受けた。
のち、梶井門跡道仁親王に召され、法橋となり、法眼に進んだ。
延享2年(1745)親王に従駕して江戸に赴き、将軍に拝謁した。
著書に
『黄帝内経素問大伝』
『傷寒論訓古』
『難経而知』
がある。
墓碑は『京都名家墳墓録』記載の碑刻を頼りに無縁墓域の中から見つけ出した。
頭の「法」と碑刻が少しだけ見えている。
芳村時豊院墓
芳村玄恂の墓碑の傍で見つけた無縁墓。
法印の文字が見え、恐らく玄恂と同じ芳村氏であると思われるが、どのような人物か詳細は不明である。
一緒に写り込んでいる首無し仏がまた何とも言えない哀愁を漂わせている。
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