2009年の3月に始めた易儒と漢方家の掃苔記録も、これでそのほとんどを紹介し終えた。
短時日の間によくぞこれだけ訪れたものだと今更ながらに驚くばかりだ。
ブログのカテゴリーを見るに、易学ハカマイルのほうがやや件数が多いのは自分としては少し意外で、漢方家の方が少し多いような気がしていた。
面子を見てみると、易儒の大半は特別な漢学的素養のある人以外は名前すら知らないような学者がほとんどであるが、漢方家の方はそれなりに知られた名前が多いように思われる。
これは、大塚先生や矢数先生らが古資料を丹念に発掘し、顕彰を続けられた結果であろう。
易儒の方は、白蛾や中州など極く一部の超大御所を除いては、誰も扱ってこなかった。
リッチな医者が顕彰活動を行うと、ドでかい顕彰碑がすぐに建つが、易者の団体では資金力にも限界がある。
すでに知られた東洞だの多紀家だのの墓碑は今更私が紹介するまでもないが、おそらく初めて写真が公開されたのではないかと思われるものも少なくない。
田中華城・
柘植葛城・
吉村玄恂・
斎宮静斎・
赤沢一堂・
竹中南峰・
広岡文台・
伊藤鳳山・
及川東谷・
奥村良竹あたりは、管見の限りでは、紹介されている文献を見たことがないように思う。
残念ながら史跡指定を受けていない墓碑の大半は、菩提寺の関係者にさえ認知されておらず、剥落と無縁処理をただ待つだけの状態である。
願わくば、拙ブログが少しでも顕彰保護の一助にならんことを。
また、東洋医学を志す方は、古方・後世方・中医学の流派に関わらず、我が国の伝統医学の発展に貢献した先師先哲に思いを馳せて頂きたい。
墓参に関心のある方の申し出があれば、都合のつく限り御案内したいと思うし、一度京阪でツアーのようなものを組んでみたいという気もする。
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