先哲顕彰の現代的意義
- 2015/02/25
- 20:02
支那制度史の大家・宮崎市定先生(1901~1995)が中央公論に発表された「イラン学の祖 榊亮三郎博士」(昭和56年3月)という短文は、
“前人の優れた業績を顕彰することは、下手な論文を書くよりも、ずっと世の為になることは確かである。”
という一文で終わっている。
しかしながら、昨今の漢方界を見渡すに、先哲の顕彰よりも下手な論文の方がどれほど多いことか知れない。
その先哲の顕彰さえ、これまで誰かが発表して来たものをなぞっただけの御粗末なものが少なくないようだ。
私は非力な上に赤貧にあえぐ身の上であること友人の全てが知るところであるので、巨大な顕彰碑を建てることも出来ず、矢数先生のように古医書の復刻を行って後進を利することも叶わず、ささやかな掃苔録を披露するくらいが関の山である。
しかし、その程度しか出来ないからこそ、私は掃苔にこそ力を入れて来た。
十数年前、さる中国の高名な傷寒論研究家が来日して、我が国の大家とされる先生方と交流を持たれたことがあるが、帰国時に「このままでは日本の漢方は間違いなく滅びる」と言い残されたという。
日本の漢方は、ほとんどが病名投与で、統合医療だの総合医療だの中西結合だのと言ったところで、結局は西洋医学に屈服する形で運用されているのが実情である。
現代医学を修めた医療従事者への導入としては已むを得ないのかもしれないが、そのままではいつまで経っても東洋医学的な運用には至るまい。
東洋医学を修得するには、一度頭を白紙にして、江戸時代なら江戸時代の思考に近づくことが重要なのではないかと私は思う。
病名漢方から方証相対あるいは弁証論治の漢方的世界に脱却する一つのきっかけとしても、先師先哲を顕彰する現代的意義があるのではないかと考える今日この頃である。
“前人の優れた業績を顕彰することは、下手な論文を書くよりも、ずっと世の為になることは確かである。”
という一文で終わっている。
しかしながら、昨今の漢方界を見渡すに、先哲の顕彰よりも下手な論文の方がどれほど多いことか知れない。
その先哲の顕彰さえ、これまで誰かが発表して来たものをなぞっただけの御粗末なものが少なくないようだ。
私は非力な上に赤貧にあえぐ身の上であること友人の全てが知るところであるので、巨大な顕彰碑を建てることも出来ず、矢数先生のように古医書の復刻を行って後進を利することも叶わず、ささやかな掃苔録を披露するくらいが関の山である。
しかし、その程度しか出来ないからこそ、私は掃苔にこそ力を入れて来た。
十数年前、さる中国の高名な傷寒論研究家が来日して、我が国の大家とされる先生方と交流を持たれたことがあるが、帰国時に「このままでは日本の漢方は間違いなく滅びる」と言い残されたという。
日本の漢方は、ほとんどが病名投与で、統合医療だの総合医療だの中西結合だのと言ったところで、結局は西洋医学に屈服する形で運用されているのが実情である。
現代医学を修めた医療従事者への導入としては已むを得ないのかもしれないが、そのままではいつまで経っても東洋医学的な運用には至るまい。
東洋医学を修得するには、一度頭を白紙にして、江戸時代なら江戸時代の思考に近づくことが重要なのではないかと私は思う。
病名漢方から方証相対あるいは弁証論治の漢方的世界に脱却する一つのきっかけとしても、先師先哲を顕彰する現代的意義があるのではないかと考える今日この頃である。
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