掃苔法秘伝
- 2015/02/27
- 19:39
秘伝などという大仰なものではないけれど、何年もハカマイルを積み重ねると、自ずと会得される心得のようなものがある。
ハカマイラーに与ふる書を与えだだけでも親切この上ないという気もするが、老婆心から更なる親切を重ねてみたい。
まず、目指す墓碑をググってみよう。
誰かが墓碑の情報をアップしてくれていれば、話は早い(しかし、自ら探すという醍醐味は皆無)。
ネット情報を頼りに行く場合は、墓碑の写真の背景情報が重要になる。
墓地内での位置を特定するには、背景情報をよく頭に入れておくことだ。
ネットで誰も上げていなくても、与ふる書があれば恐るるに足らず。
京都や大阪なら所在地と墓碑情報が収載されたガイドブックがある。
その他の地域でも『国書人名辞典』があれば大丈夫。
注意しておかないといけないのは、菩提寺ないし霊園墓地の場所を正確に確定することである。
旧番地どころか、~~村という風にとっくに消滅した地名で記載されていることもあるので、丹念に調べよう。
東京は空襲の関係もあり、移転した寺院も多く、移転先を特定するのに骨が折れる(ただし、移転した例では墓碑が残っている可能性は相当に低いというのが私の印象である)。
また、奥村良竹のように、地域内に同名の寺院があってうっかり別の方へ行ってしまうこともあるので、くれぐれも注意したい。
菩提寺が特定出来たら、まずは電話をかけてみよう。
子孫が今でも続いている場合は、当該墳墓の有無についても判明するし、判らなくても(無縁になっているものは、案外菩提寺さえ把握していない場合も多い)、調査の許可を一応願い出てみると良い。
たいていは親切に対応してくれるはずだが、仏門にあるまじき不愉快極まりない態度を取るところもあるので、その際はおとなしく引き下がって勝手に探す。
無縁整理が行われているかどうかは、グーグルアースなど衛星写真で見るとある程度判ることも多い。
徹底して整理が行われた墓地は、上空から見ても判るくらいにスッキリしているし、古い墓碑が多いところは、何となく雰囲気で判る。
実際に現地で探墓する際に、頭に入れておくべき情報は、墓主の号と没年である。
例えば、後藤艮山の墓碑はよく知られた艮山ではなく養安と刻まれているし、名古屋玄医に至っては名古屋の三字すらなく、「宜春庵観翁丹水先生墓」とあって、準備なく探したのではまず見つけられないと思う。
だから、『国書人名辞典』記載の別号と諡名は押さえておくべきだ。
それから、江戸中期の墓碑は修復されていない限り、程度の差はあれ或る程度の剥落は避けられない。
全面崩壊の場合は如何ともし難いが、正面の碑刻がのっぺらぼうになっていても、側面の没年を読み取れれば、目当ての墓碑かどうか判断することが出来る。
以上、当たり前のことばかりと言えばそれまでだが、私はこのスタイルに辿り着くまで何年もかかった。
参考にして頂ければ幸いである。
ハカマイラーに与ふる書を与えだだけでも親切この上ないという気もするが、老婆心から更なる親切を重ねてみたい。
まず、目指す墓碑をググってみよう。
誰かが墓碑の情報をアップしてくれていれば、話は早い(しかし、自ら探すという醍醐味は皆無)。
ネット情報を頼りに行く場合は、墓碑の写真の背景情報が重要になる。
墓地内での位置を特定するには、背景情報をよく頭に入れておくことだ。
ネットで誰も上げていなくても、与ふる書があれば恐るるに足らず。
京都や大阪なら所在地と墓碑情報が収載されたガイドブックがある。
その他の地域でも『国書人名辞典』があれば大丈夫。
注意しておかないといけないのは、菩提寺ないし霊園墓地の場所を正確に確定することである。
旧番地どころか、~~村という風にとっくに消滅した地名で記載されていることもあるので、丹念に調べよう。
東京は空襲の関係もあり、移転した寺院も多く、移転先を特定するのに骨が折れる(ただし、移転した例では墓碑が残っている可能性は相当に低いというのが私の印象である)。
また、奥村良竹のように、地域内に同名の寺院があってうっかり別の方へ行ってしまうこともあるので、くれぐれも注意したい。
菩提寺が特定出来たら、まずは電話をかけてみよう。
子孫が今でも続いている場合は、当該墳墓の有無についても判明するし、判らなくても(無縁になっているものは、案外菩提寺さえ把握していない場合も多い)、調査の許可を一応願い出てみると良い。
たいていは親切に対応してくれるはずだが、仏門にあるまじき不愉快極まりない態度を取るところもあるので、その際はおとなしく引き下がって勝手に探す。
無縁整理が行われているかどうかは、グーグルアースなど衛星写真で見るとある程度判ることも多い。
徹底して整理が行われた墓地は、上空から見ても判るくらいにスッキリしているし、古い墓碑が多いところは、何となく雰囲気で判る。
実際に現地で探墓する際に、頭に入れておくべき情報は、墓主の号と没年である。
例えば、後藤艮山の墓碑はよく知られた艮山ではなく養安と刻まれているし、名古屋玄医に至っては名古屋の三字すらなく、「宜春庵観翁丹水先生墓」とあって、準備なく探したのではまず見つけられないと思う。
だから、『国書人名辞典』記載の別号と諡名は押さえておくべきだ。
それから、江戸中期の墓碑は修復されていない限り、程度の差はあれ或る程度の剥落は避けられない。
全面崩壊の場合は如何ともし難いが、正面の碑刻がのっぺらぼうになっていても、側面の没年を読み取れれば、目当ての墓碑かどうか判断することが出来る。
以上、当たり前のことばかりと言えばそれまでだが、私はこのスタイルに辿り着くまで何年もかかった。
参考にして頂ければ幸いである。
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