医家の冠する僧位について
- 2015/03/15
- 10:02
これまで様々な医家の事績を墓碑の写真と共に御紹介して来たが、その中で時折出て来た「法印に叙せられた」「法眼に上った」などの記述について説明して来なかったので、何のことか分らなかった方も居られると思う。
これらは本来医家とは関係がなく、もと僧侶に対して与えられた位階であって、「法印」が一番位が高く、「法眼」がそれに次ぎ、「法橋」が最も位が低い。
読みは、それぞれ「ほういん」「ほうげん」「ほっきょう」で、法眼を「ほうがん」と読まず「ほうげん」と読んでいるのは、仏教語である為、呉音で読んでいる訳だ。
貞観6年 (864) に制定された当初は僧侶を受階の対象としたが、平安後期に仏師の定朝(??~1057)が法橋に叙せられたのを皮切りに、仏師や絵仏師、連歌師などにも与えられるようになり、時代が下ると、儒者や医師も受階の対象となった。
私の掃苔した医家では、漏れもあるかもしれないが、下のような面子が受階しており、人数では法眼が最も多いようだ(最終的に上った位階で、法眼を経て法印に上った者は法印としてある)。
法印
岡本玄冶・杉本樗園・多紀元堅・野間玄琢・畑黄山・曲直瀬玄朔
法眼
浅田宗伯・緒方洪庵・喜多村直寛・多紀元胤・多紀元簡・山脇東洋・吉村玄恂・和田東郭・石坂宗哲
法橋
有持桂里・寺島良安・岡本為竹
言うまでもなく、位の高低は必ずしも医家としての腕前の良悪を表したものではないが、さすがに法印様は身分も高貴で羽振りの良さそうな面子が並んでいるようだ。
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