日本学士院
- 2015/04/27
- 21:09
在りし日の龍野一雄先生
講演の準備で安藤昌益を調べているうち、1950年に初めて医家としての安藤昌益に光を当てた龍野一雄先生(1905~1976)が、帝国学士院の嘱託員(ウィキペディアでは「会員」となっているが誤りである)であったことを知った。
帝国学士院は現在の日本学士院の前身で、日本のアカデミズムで第一級の学者として扱われると、たいていは日本学士院の会員となって殿堂入りするのだが、さすがに会員のお歴々はビッグネームが並んでいて貫禄充分である。
少し気になったので、昔の会員一覧を調べてみると、他にも清水藤太郎(1886~1976)・赤松金芳(1896~1994)・高橋真太郎(1909~1970)といった諸先生方が嘱託員として記載されているものの、正会員となった漢方家は今までに一人も居ないようだ。
朝比奈泰彦先生(1881~1975)は正会員ではあるが、その業績は生薬の薬理学におけるそれであって、「漢方家」にカテゴライズするのは無理だろう。
嘱託員の先生方も漢方家と言って良いのは龍野先生くらいで、あとはやはり生薬学の分野の方々である(この嘱託員というのも医学史の編纂を担当したもので、漢方家として龍野先生の業績が認められたという訳のものではなさそうである)。
結局のところ、薬理学的なアプローチをする人は評価の対象になっているけれど、古典医学的なものはまともな扱いを受けていないということだ。
支那学のような分野とは大違いで、漢方古典に取り組んでいる人は学者として扱われていないと言って良い。
保険適用にはなったものの、いつまで経っても漢方が「補完医療」止まりであるのが、こういう部分にも表れているということだろう。
私は別に権威主義を振りかざすつもりはないけれど、いわゆる「漢方家」が学士院の会員として選ばれた時、日本国は漢方医学を「まともな」医学として認めたことになるだろうと思う。
しからば、誰がそれに相応しいかと問われると、私は答えに窮する。
あの学士院会員の面々とタイマンを張れるような風格のある漢方家が今の日本に居るのだろうか。
となると、漢方医学が日本においてぞんざいな扱いを受けているのは、国家の側だけの問題ではないという気がする。
嗚呼!!
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