座光寺南屏の墓~山梨漢方史跡~
- 2015/07/23
- 18:55
座光寺南屏墓(宝寿院・山梨県西八代郡市川三郷町市川大門5711)
以前、続・霊園の憂鬱の中で、気になる未参の漢方家として山梨の座光寺南屏を挙げたが、長野へ行ったついでに少し無理をして山梨まで足を延ばしてみた。
座光寺南屏(1735~1818)は、享保20年に甲斐で生まれ、本姓は源、名は為祥、字は履吉、通称を利吉郎・三蔵といい、南屏・龍園・鬼石子・東海紫府道人・南屏潜夫・確乎斎・桐花書屋と号した。
五味釜川(1718~1754)に漢学を学び、京都の香川南洋(1714~1777)について医学を修めた。
また能書家として知られ、和歌・漢詩を能くするとともに、画を佐竹蓬平(1750~1807)に学んで墨蘭のみを描いた。
著述に
『周易管見』
『人相十二宮抄』
『傷寒大論抄』
などがある。
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