水野南北の墓~独鈷山鏑射寺~
- 2013/12/20
- 17:29
三田の鏑射寺にある水野南北の墓とされる碑
“現代の空海”として知られる中村公隆師が住職を務める兵庫県は三田の独鈷山鏑射寺にも水野南北の墓とされる石碑がある。
ネットで検索してみると、水野南北の墓として大勢が参拝しているのは、この鏑射寺の墓碑なのであるが、私はこれは墓ではなく供養塔のようなものであろうと常々考えている。
まず、法輪寺にあった南北先生墳は来歴がはっきりしているが、鏑射寺のものは、信頼のおける文献に記載されているのを見たことがない。
私が初めて鏑射寺に参った際、寺院と関わりのある方に訪ねてみたところ、晩年の南北がここに住んでいたというのだが、晩年の南北は名古屋で過ごすことが多かったらしく、没したのは大阪は道修町の小西邸であったというから、鏑射寺と南北を結び付ける証拠に欠けているというのが現時点での感想である。
あえていえば、不動尊を尊信した南北が葬られるに相応しいのは、真言宗である鏑射寺のように思うが、それだけでは根拠が薄い。
また、法輪寺のものには“墳”の文字が刻まれているが、鏑射寺のものは、ただ“水野南北居士”とあるだけで、“水野南北居士之墓”とは書かれていない。
必ずしも墓碑であるからといって、“墓”とか“墳”の文字が刻まれているとも限らないが、数百基の墓碑を調査してきた経験からすると“~之墓”と刻まれている例の方が遥かに多い。
以上のことから、鏑射寺のものは、墓碑ではなく、南北に縁があり、かつ鏑射寺にも縁を持っていた誰かが、供養塔として建立したものである、と私は考える。
もし、鏑射寺のものが真墓であるか、或いは分骨されたかを裏付ける資料があれば、判断を変更するに吝かではないので、何か御存じの方は、是非ご一報頂ければ幸いである。
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