『全訳漢辞海』戸川芳郎監修
- 2015/08/25
- 20:03
『全訳漢辞海』戸川芳郎監修(三省堂/2000年初版)
立て続けに古めかしい辞書を紹介したので、最近の漢和辞典をと思い、選んだのが又もや三省堂の『全訳漢辞海』。
最近のとは言っても、すでに初版から15年経っているのだが。
監修は、我らがマエストロ奈良場の師である戸川芳郎先生(1931~)。
本書は現在、第三版(2011年)まで出ているのだが、初版が出た際には、画期的な漢和辞典として騒がれたものという。
類書に例がないほど徹底的に調べられた出典といい、初学者には嬉しい例文の現代語訳といい、盛り込まれた最新の古代漢語研究の成果といい、非常に優れた内容のようだ。
私はどうしても引き慣れた『新漢和中辞典』ばかり使ってしまい、補助的にしか本書を用いることは無いのだけれど、今後はもうちょっと使用頻度を増やして行きたいと思っている。
しかし、ここで注意を促したいのだが、辞書を使用する際に重要なことは、如何に優れたものであっても、完全無欠では有り得ず、随所に誤りが混入することの避けがたい点だ。
辞書に限らず、誤りの一か所も無い書物など、恐らく存在しないだろうが、辞書は解らないことを調べるために用いるものなので、どうしても記述を鵜呑みにしがちなきらいがある。
たとえば、『全訳漢辞海』では、豊字の解説で易卦の雷火豊に触れ、「盛大で明るい状況の下で行動し、この明るさをもって訴えを定める象」と説明し、これは主に大象伝から導き出した見方であるが、豊卦は全体にもっと暗さの漂う卦であろう。
同様に、山風蠱は「すべてが崩壊したあとに君子が民衆を救済する象」、水風井は「上に立つ者が民をねぎらい、助け合うようすすめる象」、山地剥は「山が地表まで削られるが、下層に対して手厚くすれば安泰である象」etc…。
明らかに大象伝の見方に偏った解説である。
大成卦には様々な意味が含まれており、簡潔かつ明晰に纏めるというのは至難の業だから、上下の象と絡めて儒教的実践倫理を説く大象伝を一つの基準として解説の中心にしたものであろうが、これだけ読んで解ったような気になるのはやはり危険であろう。
ちなみに『新漢和中辞典』では、雷火豊は「盛大なる象」、山風蠱は「物事が壊乱したはてに新たに興ること」、水風井は「君子の徳を井戸の水にたとえた象」、山地剥は「小人が勢力を得て君子が悩む象」とあって、より簡潔な記述で済ませているのだが、読み比べると『全訳漢辞海』の方は詳しく説明しようと力んだ挙句に反って滑ってしまったような印象を受ける。
毎度毎度、字義を調べる毎に複数の辞書を引き比べる訳にも行くまいが、一冊の辞書にもたれかかる危険くらいは知っておいた方が良かろう。
ところで、『全訳漢辞海』は新しい辞書ということもあって、学生街のブックオフなどでは100円で見かけることも少なくない。
複数の版から選べる場合は、つい新しい版を手にとってしまうが、本書は第二版の改定で収録字数を増やした代わりに例文が削除されており、初版の方にも捨てがたい要素があるようだ。
入手しやすいので、邪魔にならなければ、ひと揃えコレクションするのも乙なものだろう。
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