『大増補字林玉篇大全』三浦道斎増補
- 2015/08/30
- 12:05
『大増補字林玉篇大全』三浦道斎増補(1856年初版)
江戸時代の医書を紐解こうとする際、読解者を悩ませる厄介なものが、異体字である(異体字は何も江戸時代の書物に特有のものというわけではないのだが)。
本来は馴染みのある如何ということのない字なのだが、姿形が違っているために、普通の漢和辞典では引くことが出来ない。
ハンディな辞書には載っていないのかと不安になって、網羅性が取り柄の諸橋大漢和を引くがここにも記載がなく、初めて異体字であることに気付かされるというようなことが未だにある。
画数さえ同じなら何とか見当の付けようもあるのだが、一画でも違っているともう御手上げで、更にくずしが入っていたりすると、一度に投げ出したくなってしまう。
私の習った先生は、永富独嘯庵の『漫遊雑記』に始まり、江戸時代の医書に随分熱心に取り組まれていた為、異体字解読の必要性から古い辞書を何十冊も集めておられたが、割に気に入って引いておられたのは、三浦道斎編の『大増補字林玉篇』だったようだ。
玉篇とは、梁~陳時代の顧野王(519~581)が著わした字書で、後世の増補改訂を経ながら多くの版が刊行され、我が国でも広く用いられた。
今日では異体字の字典というのが何冊か刊行されているが、一昔前はこの手の古めかしい字書に頼る他なかったものだ。
三浦道斎墓(大仙寺/大阪市中央区谷町9丁目5-6)
『大増補字林玉篇大全』の撰者である三浦道斎(1778~1860)は、てっきり字引屋の類であると思っていたのだが、最近になって医家であることを知った。
もともとは相模(現神奈川)の生まれで、文化14年(1817)に大坂で医業を開き、官命を受けて、『素問』や『難経』を堺の医学館で講義したという。
また、国学や韻学、書、禅などに通じていた博覧強記の人物だったらしい。
墓碑は、大阪は谷町の大仙寺に現存し、無縁墓の中に埋もれてはいるが、これは最近になって御子孫が墓碑を改修して、新たに三浦家之墓を建てられた為である。
大阪のハカマイルでは御子孫が健在である例が少ないので、嬉しいことだ。
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