慈雲尊者
- 2013/12/21
- 23:15
慈雲尊者肖像
今東光氏に“慈雲尊者”と題した小論がある(『易学研究』1953年5月号所収)。
慈雲尊者(1718~1805年)と聞いてすぐ解る人は、仏教に詳しいか、書道に詳しいか、或いは余程教養のある人かの何れかであろう。
私がここで慈雲尊者を取り上げるのは、慈雲尊者が水野南北に関わりがあるからである。
実は、水野南北に居士号を授けた人こそ、誰あろう此の慈雲尊者なのだ。
享和3年(1803)、相法上の師である海常律師の追善供養の為、『相法早引』一千部を無料で施本し、その行いを讃えた慈雲尊者は南北に居士号を授けられた。
先に書いたとおり、慈雲尊者は日本書道史上の最高の名筆の一人に数えられており、その書は稀に市場に出ればとんでもない高値が付くらしい。
しかし、今日、世界的な評価を受けているのは、サンスクリット原典研究の先駆者としての慈雲尊者である。
生駒山中の雙龍庵で書き上げられた『梵学津梁』は千巻に及ぶ大著で、明治31年にフランスのサンスクリット学者・シルヴェンレヴィが来日した折、この『梵学津梁』の出来映えを見て驚き、広く海外に紹介した為、慈雲尊者の業績は世界的に知られるようになった。
ヨーロッパでは、シルクロード探検ブームで貴重な経典類が発掘されたことを契機として、原典研究が盛んに行われるようになったが、慈雲尊者の研究はブームに先立つこと凡そ150年であり、独力でサンスクリットの字引まで作成していたのであるから、ただただ驚く他はない。
なお、慈雲尊者は若い頃、古義堂で伊藤東涯(1670~1736)に儒学を学んでおり、易学にも造詣が深かったという(伊藤東涯の著『周易経翼通解』は義理易の分野では特に高く評価されている一冊である)。
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