新井白石の『鬼神論』
- 2015/10/08
- 19:40
新井白石の著述と言えば、『折たく柴の記』や『西洋紀聞』『読史余論』などが有名で、これらは全て岩波文庫に収められているが、面白さという点では『鬼神論』が一番かもしれない。
“鬼神”というのは中国でいう霊のことで、“鬼”と聞いて日本人の頭を過ぎる節分の二本角ちゃんとは関係ない。
『鬼神論』は朱子の合理主義的な鬼神解釈を白石流に補強・敷衍したもので、数々の怪異について徹底して合理的な解釈を施そうと努めている。
あくまでも儒学思想である朱子学の視点からの鬼神解釈なので、今日の我々の眼から見れば納得しかねる点もないではないが、解釈の理屈はそれなりに成立していて、この論理性は白石もさることながら朱子自身の合理的精神が反映されているとも言えるだろう。
本書はまた奇談集としても非常に面白く、白石の博引旁証ぶりが大儒の貫録を十二分に感じさせる。
面白い奇談が沢山収められているが、例えば『賈氏説林』からこんな話を引用している。
漢の時代、夫を亡くした女が寝もせず、枕によりかかって壁の崩れた穴から隣家の蚕を飼うのを何となく眺めていたが、翌日、その蚕が繭を作ったが、それがこの女の姿によく似ていた。目もとや眉のかかりかたなど、はっきりとは区別できないものの、これをよく見てみると、本当に物思いにふける女の姿であったが、琴の名人だった蔡邕がこの繭を買って琴の弦にして弾いたところ、その音色は実にあわれであった。物の音を聞き分けることでは並ぶものがなかったという蔡邕の娘はひとたびこの琴の音色を聴いて「これは未亡人の蚕の糸である」と言ったという。
白石はこの話について、これはかの女がこの蚕となったものではなく、ただ蚕の性質が霊的なものであるために、たちまちその女性に感応したのだ、と言っている。
他に、盗人の置いて行ったアワビが祠に祀られ、霊験を発揮するという『抱朴子』所収の話も面白いが、引用するのも面倒だし、実際に読んでもらう機会を奪わない為にもこの辺にしておこう。
白石の『鬼神論』は、『折たく柴の記』など文庫所収の代表作とは比較にならないほどマイナーで、江戸時代の原本に依るほかは日本思想大系の『新井白石』の巻に収められた友枝龍太郎氏の校注で読むしかなかったが、2012年に出た『鬼神論・鬼神新論』(浅野三平著)では現代訳もあって読みやすい(といっても現代訳で読むと面白さは半減するようだ)。
本書には、他に平田篤胤の『鬼神新論』も収載されていて、こちらも白石の『鬼神論』と並んで近世の代表的な霊魂研究とされている本らしいが、白石の『鬼神論』ほどには面白くなく、文章表現も穏和な白石に比して激烈で、読後にやや疲労感を残す。
“鬼神”というのは中国でいう霊のことで、“鬼”と聞いて日本人の頭を過ぎる節分の二本角ちゃんとは関係ない。
『鬼神論』は朱子の合理主義的な鬼神解釈を白石流に補強・敷衍したもので、数々の怪異について徹底して合理的な解釈を施そうと努めている。
あくまでも儒学思想である朱子学の視点からの鬼神解釈なので、今日の我々の眼から見れば納得しかねる点もないではないが、解釈の理屈はそれなりに成立していて、この論理性は白石もさることながら朱子自身の合理的精神が反映されているとも言えるだろう。
本書はまた奇談集としても非常に面白く、白石の博引旁証ぶりが大儒の貫録を十二分に感じさせる。
面白い奇談が沢山収められているが、例えば『賈氏説林』からこんな話を引用している。
漢の時代、夫を亡くした女が寝もせず、枕によりかかって壁の崩れた穴から隣家の蚕を飼うのを何となく眺めていたが、翌日、その蚕が繭を作ったが、それがこの女の姿によく似ていた。目もとや眉のかかりかたなど、はっきりとは区別できないものの、これをよく見てみると、本当に物思いにふける女の姿であったが、琴の名人だった蔡邕がこの繭を買って琴の弦にして弾いたところ、その音色は実にあわれであった。物の音を聞き分けることでは並ぶものがなかったという蔡邕の娘はひとたびこの琴の音色を聴いて「これは未亡人の蚕の糸である」と言ったという。
白石はこの話について、これはかの女がこの蚕となったものではなく、ただ蚕の性質が霊的なものであるために、たちまちその女性に感応したのだ、と言っている。
他に、盗人の置いて行ったアワビが祠に祀られ、霊験を発揮するという『抱朴子』所収の話も面白いが、引用するのも面倒だし、実際に読んでもらう機会を奪わない為にもこの辺にしておこう。
『鬼神論・鬼神新論』浅野三平著(笠間書院/2012年刊)
白石の『鬼神論』は、『折たく柴の記』など文庫所収の代表作とは比較にならないほどマイナーで、江戸時代の原本に依るほかは日本思想大系の『新井白石』の巻に収められた友枝龍太郎氏の校注で読むしかなかったが、2012年に出た『鬼神論・鬼神新論』(浅野三平著)では現代訳もあって読みやすい(といっても現代訳で読むと面白さは半減するようだ)。
本書には、他に平田篤胤の『鬼神新論』も収載されていて、こちらも白石の『鬼神論』と並んで近世の代表的な霊魂研究とされている本らしいが、白石の『鬼神論』ほどには面白くなく、文章表現も穏和な白石に比して激烈で、読後にやや疲労感を残す。
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