願行寺
- 2015/10/22
- 18:38
願行寺(奈良県吉野郡下市町下市2952)
庵主は、毎年夏から秋にかけて奈良の天川村へよく出かける。
世界遺産になって以後、高野山はどんどん俗に流れて、かつての聖地の雰囲気は随分薄まってしまったが、天川村にはまだまだ昔の行場の面影が残っているので気に入っているだ。
庵主の住まいから行く場合は、必ず吉野川を越えたところにある下市という集落を通るのだが、この集落にある浄土真宗本願寺派の至心山願行寺は宮崎市定先生にゆかりの古刹で、前々から一度訪れてみたいと思っていた。
なぜか不思議といつも忘れて素通りしてしまうのだが、今回は天川村ではなく願行寺を目的に奈良入りしたのである。
先々代の坊主が宮崎先生の令夫人の遠縁ということで、第二次大戦の際、大学時代の受講ノートおよび六高教授以来の講義ノートを一括して疎開させたのが、この願行寺だったそうだ。
本来なら先生の故郷である飯山市に疎開させたいところだったのだろうが、何せ京都からは距離があったので、同寺に疎開させることになったという。
同寺は、応仁2年(1468)本願寺第八世蓮如上人(1415~1499)によって開基されたと伝えられ、往時は、本願寺門跡正院家ならびに中本山として、大和・近江・摂津に七十以上の末寺を持ち、本善寺「飯貝御坊」とともに、吉野八十三ヶ寺をまとめ「下市御坊」と称された名寺であるが、すでにかつての勢いはなく、過疎が進む集落にひっそりと佇んでいる。
アポなしで訪問したのだが、現住職の令夫人が御親切に寺内を案内してくださり、本堂にも上げて頂いた。
襖絵は江戸時代のもので、狩野派の絵師の手になるものという。
同寺の一番の売りは庭園で、奈良県の指定名勝となっており、室町時代末期は下らないものと推定されている。
なお、案内して下さった御夫人は、最近薬膳の勉強に取り組まれているそうで、意外なところで話が弾むことになった。
また、現在は雑木林となっている同寺の裏山はかつて八代将軍吉宗の頃に薬草栽培が行われていたらしく、最近も近くで芍薬栽培が町興しの一環として行われているという話であった。
スポンサーサイト