慈雲尊者と法楽寺
- 2013/12/23
- 06:51
紫金山法楽寺
慈雲尊者は、父の遺言により13歳の時に法楽寺(大阪市東住吉区)で出家し、同寺の住職・忍網貞紀に密教とサンスクリットを学んだ。
忍綱貞紀より引き継いで22歳から24歳まで住職を務めた此の法楽寺は、私の両親の実家の傍に在り、毎年正月には法楽寺に参拝していた懐かしき想い出の場所でもある。
法楽寺は、ひところ、「天下の三不動」の一つに数えられている京都青連院の国宝「青不動」の原画が発見され、一躍有名になった。
この発見は、日本仏教美術史における一大ニュースとして、読売新聞朝刊(昭和53年10月2日)の一面を飾った程の発見で、当時としては朝刊にカラー画像が掲載されたのは極めて異例。
現在、この不動明王図像は、「絹本著色不動明王二童子像」と名付けられ、重要文化財に指定されている。
慈雲尊者の無縫塔(むほうとう)。
住職の墓はこのタイプが多く、卵塔とも呼ばれる。
頭が永沢くんのような形をしているのが特徴。
商家であった慈雲尊者の両親の墓。
激しく風化して文字はすでに読めない。
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