模板:二十四史
- 2015/10/28
- 18:36
司馬遷の『史記』から張廷玉の『明史』に至る中国の歴史書は二十四史と称され、これらは中国の歴史を扱う場合の基本文献となるが、一般にこの分野の学問に手を出した者は、『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』の四史だけは必ず読まなければならないものとされていて、それから『北史』『南史』『新唐書』の順に読んで行くものだそうだ。
もっとも、文学的な程度は一様ではなく、大半は歴史研究を目的としない一般の読書人には甚だ退屈な代物であろう。
最初に読むべき四史の中でも取り分け重要なのは、『史記』と『漢書』である。
そもそも、それまで編年体で著されて来た中国の史書(『春秋』など)が、紀伝体で書かれるようになったのは司馬遷を嚆矢とし、後に続いた班固の『漢書』が『史記』のスタイルを踏襲した為、以後の歴史記述において範となった為だ。
この二書は文学的にも極めて程度が高いが、その面白さは扱われている人間のスケールの大きさにも由来していて、前漢までは官吏登用の自由度が高く、身分の高低や学問の有無に関わらず、能力のある者には破格の抜擢がしばしば行われたが、武帝が儒教を国教に定めてからは、儒学が人材の登用に影響を持ち出して、最終的に科挙が整備されると、中国の人材登用は硬直化するのを免れなかった。
その点、『史記』や『漢書』あたりは、型破りでスケールの大きい人物が多く登場し、後の史書の中心となる学者センセイの御役人とは面白さが違う。
ところで、私のように漢方や易学を大きな中国史の流れの中で把握しようと試みる者にとって、これらの史書は単なる娯楽の読書ではなく、研究上の必要性から手に取ることになる訳だが、残念ながら我が国で現在全訳が入手出来るのは、分量が少なくて読書人にも人気のある『史記』くらいしか見当たらない。
『漢書』『後漢書』『三国志』あたりは戦後にも全訳の刊行があったが、その他はお手上げである。
わずか数行の記述の為に古書を取り寄せる余裕はないし、これは中々悩ましい問題であるが、幸い、自ら読み下す手間を惜しまなければ、中国のウェブ上で全文が公開されており、私のような貧乏人は専らこの中国サイトの御世話になっている。
中国のウィキペディアのようなものらしいが、ウェブ上のデータは検索が容易なので、御目当ての語句を探すには反って便利な点がある。
もっとも、文学的な程度は一様ではなく、大半は歴史研究を目的としない一般の読書人には甚だ退屈な代物であろう。
最初に読むべき四史の中でも取り分け重要なのは、『史記』と『漢書』である。
そもそも、それまで編年体で著されて来た中国の史書(『春秋』など)が、紀伝体で書かれるようになったのは司馬遷を嚆矢とし、後に続いた班固の『漢書』が『史記』のスタイルを踏襲した為、以後の歴史記述において範となった為だ。
この二書は文学的にも極めて程度が高いが、その面白さは扱われている人間のスケールの大きさにも由来していて、前漢までは官吏登用の自由度が高く、身分の高低や学問の有無に関わらず、能力のある者には破格の抜擢がしばしば行われたが、武帝が儒教を国教に定めてからは、儒学が人材の登用に影響を持ち出して、最終的に科挙が整備されると、中国の人材登用は硬直化するのを免れなかった。
その点、『史記』や『漢書』あたりは、型破りでスケールの大きい人物が多く登場し、後の史書の中心となる学者センセイの御役人とは面白さが違う。
ところで、私のように漢方や易学を大きな中国史の流れの中で把握しようと試みる者にとって、これらの史書は単なる娯楽の読書ではなく、研究上の必要性から手に取ることになる訳だが、残念ながら我が国で現在全訳が入手出来るのは、分量が少なくて読書人にも人気のある『史記』くらいしか見当たらない。
『漢書』『後漢書』『三国志』あたりは戦後にも全訳の刊行があったが、その他はお手上げである。
わずか数行の記述の為に古書を取り寄せる余裕はないし、これは中々悩ましい問題であるが、幸い、自ら読み下す手間を惜しまなければ、中国のウェブ上で全文が公開されており、私のような貧乏人は専らこの中国サイトの御世話になっている。
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