たまには占例も
- 2015/11/14
- 14:55
先日、或る人から「最近の蒼流庵随想は、単なる書籍紹介に終始していて甚だ面白くない」というような趣旨の苦言を呈された。
紹介している書籍はどれも自信をもって推薦出来るべらぼうに内容のあるものばかりなのだが、その紹介が甚だ面白くないものに感じられたとするなら、書籍紹介としては当然不成功に終わったと見なければならぬ。
これは、書籍の罪ではなく、ひとえに庵主の筆力の至らざるゆえのことで、抗弁の余地はない。
とはいえ、少なくともweb上ではあまり取り挙げられることのない隠れた名著秀作の類を御紹介することは蒼流庵随想の重要なる使命の一つであると考えているので、今後も拙い筆法ではあるが書籍紹介は続けて行くつもりでいる。
ところで、時折、庵主の占例が読みたいという声を頂く。
実際に、今年の記事の中で拍手のついた数が、年初の占例2015年を読むに圧倒的に集中している辺りにも、読者諸氏の希望が表れているようだ。
庵主の拙い占例にどれほどの価値があるか甚だ疑問であるし、web上で占例ばかり漁っているような手合いにもまるで共感出来ないのだが、今後偶には占例も差し挟んで行くことにした。
再三書いてきたように、蒼流庵随想は分かる人だけ分かってくれれば良いというスタンスで運営しているから、読者におもねるつもりなど毛頭ないのだが、副題に「漢方と易学」を謳っている以上、記事の半分は易学でなければバランスが悪いし、加えてその易学も本来、学半分術半分でなければならぬと思っているので、これまでのように年初の年筮と申し訳程度に白蛾や中州の占例が差し挟まれる程度では些か申し訳ない気もして来た。
そこで、今後は気の向くままにとった筮の記録を公開して行きたいと思う。
ただし、庵主は几帳面なA型人間につき、一連の連載の流れを止めて占例記事を差し挟むことに非常な抵抗を感ずる為、そこはなるだけ区切りのよいタイミングでとった筮のみアップすることになると思うので、御了解願いたい。
紹介している書籍はどれも自信をもって推薦出来るべらぼうに内容のあるものばかりなのだが、その紹介が甚だ面白くないものに感じられたとするなら、書籍紹介としては当然不成功に終わったと見なければならぬ。
これは、書籍の罪ではなく、ひとえに庵主の筆力の至らざるゆえのことで、抗弁の余地はない。
とはいえ、少なくともweb上ではあまり取り挙げられることのない隠れた名著秀作の類を御紹介することは蒼流庵随想の重要なる使命の一つであると考えているので、今後も拙い筆法ではあるが書籍紹介は続けて行くつもりでいる。
ところで、時折、庵主の占例が読みたいという声を頂く。
実際に、今年の記事の中で拍手のついた数が、年初の占例2015年を読むに圧倒的に集中している辺りにも、読者諸氏の希望が表れているようだ。
庵主の拙い占例にどれほどの価値があるか甚だ疑問であるし、web上で占例ばかり漁っているような手合いにもまるで共感出来ないのだが、今後偶には占例も差し挟んで行くことにした。
再三書いてきたように、蒼流庵随想は分かる人だけ分かってくれれば良いというスタンスで運営しているから、読者におもねるつもりなど毛頭ないのだが、副題に「漢方と易学」を謳っている以上、記事の半分は易学でなければバランスが悪いし、加えてその易学も本来、学半分術半分でなければならぬと思っているので、これまでのように年初の年筮と申し訳程度に白蛾や中州の占例が差し挟まれる程度では些か申し訳ない気もして来た。
そこで、今後は気の向くままにとった筮の記録を公開して行きたいと思う。
ただし、庵主は几帳面なA型人間につき、一連の連載の流れを止めて占例記事を差し挟むことに非常な抵抗を感ずる為、そこはなるだけ区切りのよいタイミングでとった筮のみアップすることになると思うので、御了解願いたい。
スポンサーサイト