山井崑崙の墓
- 2015/12/05
- 08:45
山井崑崙墓(善福院/和歌山県海南市下津町梅田271)
山井崑崙(1690~1728)という大変偉い学者の存在を私に教えてくれたのは、狩野直喜の『御進講録』だった。
和歌山出身の此の大儒は、京都で伊藤東涯に、江戸に下っては荻生徂徠に学んでいる。
『七経孟子考文』(七経とは五経に『論語』と『孝経』とを加えたもの)という著述があって、これは明以来の経書注疏の版本における文字の誤りを正したものだが、これが主家から八代将軍吉宗公に献じられて出版され、更に長崎奉行の手を経て中国へ渡ることになった。
同書は中国国内で非常に高い評価を得た上、この崑崙の著が刺激となって同分野の研究が盛んになった程であるという。
ちょうど、あちらは乾隆帝の時代であったが、有名な四庫全書の中に収められた数少ない外国人の著述の一つが、崑崙の『七経孟子考文』なのである。
四庫全書には、朝鮮人や西洋人の書いたものも収載されているのだが、これらは天文やら暦学やらの類で、中国の学問において最も重要な経学の方面で収められた外国人の著作は崑崙の此の本のみであるという事実が、此の学者の非凡を物語っていよう。
墓所は海南市の宝遊山善福院に在り、御子孫も健在だそうだ。
同寺はそれほど大きな寺院ではないが、栄西創建の古刹で、本堂たる釈迦堂は国宝に指定されている。
隣県の此の大儒の名をつい最近まで知らなかった自らの不明を私は恥じる。
崑崙先生墓表
善福院の境内には崑崙の墓表がある。
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