狩野直喜の墓
- 2015/12/06
- 20:46
狩野直喜墓(金戒光明寺/京都市左京区黒谷町121)
狩野直喜(1868~1947)は、明治元年に熊本で生まれ、字は子温といい、君山・半農人・葵園と号した。
東京帝国大学の漢学科(当時、根本通明も教壇に立っていた)に入学して、考証学に秀でた島田篁村(1838~1898)に師事。
篁村は、先に紹介した海保漁村や安積艮斎の門人である。
明治32年、文部省の命を受けて清国に留学し、翌年、義和団事件に遭遇した。
明治39年、新設されたばかりの京都帝国大学文科大学の教授に就任し、同43年には内藤湖南らと共に敦煌文書調査の為、清国に出張する。
同45年から大正2年にかけての一年間、ヨーロッパに留学した。
昭和3年に定年退官したが、門下から吉川幸次郎(1904~1980)や青木正児(1887~1964)らを輩出した。
墓所は、以前御紹介した山崎闇斎の墓所のすぐ近くに在る。
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