桑原隲蔵の墓
- 2015/12/09
- 18:02
桑原隲蔵墓(金戒光明寺/京都市左京区黒谷町121)
金戒光明寺の狩野直喜墓所の近くには、同じく京都支那学の創成期に活躍した桑原隲蔵(1871~1931)の墓所もある。
桑原隲蔵は、明治3年に和紙製造業者だった桑原久兵衛の次男として越前国(福井県敦賀市)で生まれた。
兄が家業を継ぎ、弟は時計屋になったが、次男の隲蔵は飛びぬけて成績が優秀だったことと身体虚弱につき労働には適さぬと考えられた為、学業を続けることが出来た。
京都に出て府立中学に入り、第三高等中学校に進学、卒業後は東京に出て、帝大の漢学科で那珂通世(1851~1908)に師事。
東西交渉史に優れた業績を残し、その方面の研究と学風は宮崎市定に引き継がれた。
昭和4年8月、京大の夏期講習会で行った連続講演「支那の古代法律」の直後に喀血して以後病臥し、退官後まもなくの昭和6年に塔ノ段の自宅で他界した。
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