マエストロ青木 with 蒼流庵 in Nara
- 2015/12/28
- 23:59
占星術の大家・青木良仁先生との年末の関西散策が、恒例の行事となって早くも5年になる。
2010年暮れの真勢中州掃苔に始まり、多くは京都で御一緒したように思うが、最近は候補地も少なくなって、今年は初めて奈良を歩くことにした。
10時に近鉄奈良駅で待ち合わせたが、構内でふと視線を落とすと、写真の方位図が描かれているのに気付いた。
どうせなら、それぞれの色の配当を五行に合うようにすれば良いのにと思いながらぼんやりと眺めているうちに、マエストロ青木が登場。
早速、今回のメインである某霊園へ。
意外なことに、気学や推命で有名な中村文聰先生(1906~1980)の墓所は、東京ではなく奈良に在る。
文聰先生は、一族の墓所を風水的に最も望ましい場所に建てようと生前随分検討されたらしく、最終的に奈良の某所に墓所を定められた。
庵主は気学や推命にはまるで暗いが、文聰先生は相法において目黒玄龍子の系譜に連なり、不思議な親近感がある。
さすがに文聰先生が吟味して選ばれた場所だけあって、墓地にも関わらず、非常に清々しいところに感じた。
移動の途中、マジもんの正倉院の横を通る。
国立博物館の正倉院展には何度か足を運んでいるが、正倉院そのものをこの目で見たのは初めてだ。
辺りには人もほとんど居ない。
正倉院収蔵の宝物は、我が国の宝であるにとどまらず、世界人類の貴重な財産であり、本草学のうえでも非常に貴重な史料を提供してくれる。
唐代の本草学を直接に知ることの出来る殆ど唯一の史料と言って良かろう。
もう少し間近で見たかったのだが、これ以上近づくことは出来なかった。
続いて向かったのは、春日大社の駐車場内にある国旗掲揚台で、これは国旗制定満110年を記念して昭和55年に紀藤元之介先生が中心となって寄進されたものである。
側面に張り付けられたパネルは随分劣化して痛みが見られるが、我々には馴染み深い達人たちの御芳名が散見される。
ほとんどは既に鬼籍に入られた方々だが、庵主の知る限り、幾人かは未だ御存命で、御法川先生や麻野先生にも最近は無沙汰を重ねてしまっていることを思い出す。
本殿・夫婦大黒・金龍社に参詣した後、上の禰宜道を下って、奈良教育大学へ向かう途中、「觀」という名の蕎麦屋の前を通りかかった。
店名は、易卦の風地觀から来たものかどうか判らないが、觀卦は艮の大卦で、神仏を表す卦でもある。
こういう日に觀という易卦名を屋号とする蕎麦屋の前を偶然通りかかるというのも面白い。
麻野先生らと何年か前、元春日たる大阪の枚岡神社へ参った際、麻野先生が目をとめられたパトカーのナンバーが卦に直すと「乾為天之風地観」であったことを思い出した。
奈良教育大の中には、吉備真備の墓と伝えられる「吉備塚」がある。
説明板がなければ、塚だと言われて気づく者がどれだけ居るか判らぬが、1986年には古墳時代中期後半の特徴を有する画文帯環状乳神獣鏡が見つかっており、数回の調査で埴輪や大刀など複数の遺物が発掘されているそうだ。
出土物の年代推定からして、吉備真備とは時代が合わないらしいが、江戸時代の文献には既に大和国の名所のひとつとして取り上げられていることから、少なくとも江戸時代には真備と絡めた伝説が定着していたことが窺われる。
続く・・・
2010年暮れの真勢中州掃苔に始まり、多くは京都で御一緒したように思うが、最近は候補地も少なくなって、今年は初めて奈良を歩くことにした。
10時に近鉄奈良駅で待ち合わせたが、構内でふと視線を落とすと、写真の方位図が描かれているのに気付いた。
どうせなら、それぞれの色の配当を五行に合うようにすれば良いのにと思いながらぼんやりと眺めているうちに、マエストロ青木が登場。
早速、今回のメインである某霊園へ。
意外なことに、気学や推命で有名な中村文聰先生(1906~1980)の墓所は、東京ではなく奈良に在る。
文聰先生は、一族の墓所を風水的に最も望ましい場所に建てようと生前随分検討されたらしく、最終的に奈良の某所に墓所を定められた。
庵主は気学や推命にはまるで暗いが、文聰先生は相法において目黒玄龍子の系譜に連なり、不思議な親近感がある。
さすがに文聰先生が吟味して選ばれた場所だけあって、墓地にも関わらず、非常に清々しいところに感じた。
移動の途中、マジもんの正倉院の横を通る。
国立博物館の正倉院展には何度か足を運んでいるが、正倉院そのものをこの目で見たのは初めてだ。
辺りには人もほとんど居ない。
正倉院収蔵の宝物は、我が国の宝であるにとどまらず、世界人類の貴重な財産であり、本草学のうえでも非常に貴重な史料を提供してくれる。
唐代の本草学を直接に知ることの出来る殆ど唯一の史料と言って良かろう。
もう少し間近で見たかったのだが、これ以上近づくことは出来なかった。
続いて向かったのは、春日大社の駐車場内にある国旗掲揚台で、これは国旗制定満110年を記念して昭和55年に紀藤元之介先生が中心となって寄進されたものである。
側面に張り付けられたパネルは随分劣化して痛みが見られるが、我々には馴染み深い達人たちの御芳名が散見される。
ほとんどは既に鬼籍に入られた方々だが、庵主の知る限り、幾人かは未だ御存命で、御法川先生や麻野先生にも最近は無沙汰を重ねてしまっていることを思い出す。
本殿・夫婦大黒・金龍社に参詣した後、上の禰宜道を下って、奈良教育大学へ向かう途中、「觀」という名の蕎麦屋の前を通りかかった。
店名は、易卦の風地觀から来たものかどうか判らないが、觀卦は艮の大卦で、神仏を表す卦でもある。
こういう日に觀という易卦名を屋号とする蕎麦屋の前を偶然通りかかるというのも面白い。
麻野先生らと何年か前、元春日たる大阪の枚岡神社へ参った際、麻野先生が目をとめられたパトカーのナンバーが卦に直すと「乾為天之風地観」であったことを思い出した。
奈良教育大の中には、吉備真備の墓と伝えられる「吉備塚」がある。
説明板がなければ、塚だと言われて気づく者がどれだけ居るか判らぬが、1986年には古墳時代中期後半の特徴を有する画文帯環状乳神獣鏡が見つかっており、数回の調査で埴輪や大刀など複数の遺物が発掘されているそうだ。
出土物の年代推定からして、吉備真備とは時代が合わないらしいが、江戸時代の文献には既に大和国の名所のひとつとして取り上げられていることから、少なくとも江戸時代には真備と絡めた伝説が定着していたことが窺われる。
続く・・・
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