慈雲尊者と雙龍庵
- 2013/12/26
- 19:00
近鉄線額田駅ホームにある石標
慈雲尊者が、41歳~54歳まで過ごした雙龍庵は、生駒山中に建てられた草庵で、宝暦8年(1758年)に建立された。
私の号の一つである「蒼流庵」は、この尊者の庵の名からとったものである。
尊者の畢生の大著『梵学津梁』は、この雙龍庵で執筆された。
『梵学津梁』は、本・末・通・別・略・広・雑の七部に分けて七註と名付けられ、特に第五略註は悉曇(梵字の字母のこと)のアルファベット順に編纂された字引類で、尊者が多大の時間と労力を傾注して出来上がった労作である。
尊者のサンスクリット学は、今日のサンスクリット研究の水準からはどうという程のものではないらしいが、当時としては最先端の研究であり、しかも、ほとんど独力で成った研究であるという点が驚異である。
この慈雲尊者ゆかりの雙龍庵の遺蹟を其の眼でご覧になりたい方は、近鉄線に乗って、額田駅に降り立ってみよう。
額田川沿いの細い道を登っていく。
天龍院にある慈雲尊者像
雙龍庵址を示す石碑
慈雲尊者が瞑想した座禅石
普通なら、ここで満足して下山するようで、ネットで書かれている雙龍庵散策記は、大抵この場所で記述を終えている。
ところが、この雙龍庵址と座禅石は訪問者を欺くフェイクであり、本当の雙龍庵址と座禅石はここから獣道を10分程登った処にある。
これが本物の慈雲尊者座禅石だ!!
今も残る雙龍庵の礎石
ここがモノホンの雙龍庵址
慈雲尊者を供養する宝篋印塔(ほうきょういんとう)
雙龍庵の一部であった禅那台は、現在は長栄寺境内に復元されている。
復元された雙龍庵禅那台(長栄寺)
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