慈雲尊者と阿弥陀寺
- 2013/12/27
- 14:19
元阿弥陀寺跡を示す石碑(京和学園幼稚園前)
長栄寺時代から雙龍庵時代にかけて、尊者の業績や高徳は広く知れ渡るようになり、京都在住の篤信の人々は、西の京の阿弥陀寺を買い求め、尊者の出向を懇請した。
明和8年(1771年)、尊者54歳のとき、遂に信者の請に応じて生駒山を下り、阿弥陀寺に移られ、その後の五年間は在京の道俗に法を説かれた。
安永2年(1774)11月23日から翌安永3年4月8日まで、十回にわたって行われた法話は、弟子達によって筆記され、尊者の度重なる加除修正を経て『十善法語』十二巻となって完成する。
時に安永4年、尊者58歳の秋であった。
以来、『十善法語』は、写本によって周辺の人々に読まれていたが、尊者遷化後二十年、文政7年(1824年)には、その開版が実現した(この大事業を成し遂げたのは、尊者最晩年の弟子であり、当時、伊勢松坂来迎寺住職の妙有上人であった)。
この阿弥陀寺は、文化元年(1804)、慈雲尊者が八十七年の生涯を終えられた場所でもある。
阿弥陀寺は、明治の廃仏毀釈に遭って廃寺となり、現在は京和学園幼稚園(京都市上京区下立売通御前西入行衛町439-2)の前に“慈雲尊者遷化之霊地”と刻まれた石碑を残すのみである。
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