内藤湖南の通史
- 2016/01/29
- 18:20
内藤湖南全集第十巻(筑摩書房/1969年刊)
内藤湖南の著作全集十四巻は、東洋史学を学ぶ上で欠くべからざるものであるが、自身で筆を起こした文はそれ程多くなく、講義や講演の内容を活字に起こして本人が加筆を行ったものが多い。
それさえ、生前に書籍となって上梓されたものはあまりなく、没後、聴講者が筆記した講義ノートを元に編まれたものが多いのだが、異なった筆記者のノートを突き合わせて校勘するという作業は講義者本人以外の人間が手掛けるとなると大変な苦労を伴うことは想像に難くない。
編者たる嗣子・乾吉氏(1899~1978)と神田喜一郎氏(1897~1984)の忍耐強い努力の御蔭で我々はこの浩瀚な内藤史学の成果に手軽に触れることが出来る。
有難いことだ。
全十四巻の中からどれか一冊を挙げるとなると、庵主は迷わず、第十巻を挙げる。
この巻には、「支那上古史」「支那中古の文化」「支那近世史」の三書が収められ、それぞれ京大での講義を書籍化(単行本は昭和19~22年にかけて公刊された)したものであるが、湖南による通史的内容の巻となっている。
必ずしも一巻の通史を書く目的で成った書物ではないので、内容はやや文化史に重きを置いたものとなっており、最後は元代で終わって明清は扱われていないのだが(清朝に関しては全集第八巻に「清朝史通論」が入っている)、本書ほど庵主に中国の歴史を映像化する如く明確に理解させてくれた書物は他にない。
これまで、世評の高い宮崎市定の『中国史』や植村清二の『万里の長城』など、優れた通史には何冊も目を通して来たが、この湖南の通史ほど明晰なものはなかった気がする。
勿論、それらの書物を読んで或る程度中国史に関する知識を得た後のこと故に、より理解の度合いが深まったということもあるのかも知れぬが。
湖南の没後、東洋史における新たな発見や発展は山積して現在では隔世の感があり、本書の内容には確かに古さがあるのかもしれないが、一世の碩学による本書の如き書物にはそれらとは別次元の迫力と価値があるように思われる。
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