白鳥庫吉の墓
- 2016/02/07
- 06:39
白鳥家之墓(雑司ヶ谷霊園/東京都豊島区南池袋4-25-1)
戦前、我が国の東洋史学において、内藤湖南と双璧を成した白鳥庫吉(1865~1942)の墓所は、東京の雑司ヶ谷霊園にある。
内藤湖南と邪馬台国の所在地を巡って論争を繰り広げたのは余りにも有名(湖南は邪馬台国畿内説を主張し、庫吉は北九州説を主張した)。
学習院教授、東京帝国大学文科大学史学科教授を歴任し、東宮御学問御用掛として皇太子時代の昭和天皇の教育にも関わった。
庵主は東大の支那学にはあまり詳しくないが、門人の津田左右吉(1873~1961)や石田幹之助(1891~1974)によって庫吉の小伝が著されているので、ご興味のある方はそれらをお読みになると良かろう。
雑司ヶ谷霊園は、小泉八雲や泉鏡花、夏目漱石など文化人を中心に多くの墓所があり、多摩、青山と並ぶハカマイラーの憩いの場所となっている。
スポンサーサイト