慈雲尊者と高貴寺
- 2013/12/27
- 20:54
慈雲尊者が晩年のおよそ30年間を過ごされたのが、大阪は河南町の高貴寺である。
『十善法語』の完成を機に、再び隠棲の決意を固められた慈雲尊者は、安永5年(1776年)2月に高貴寺に入寺し、ここを正法律の本山と定めた。
その後も、長栄寺や雙龍庵に時折出向され、信者の請に応えて年に二、三度は上洛されていた。
文化元年(1804年)に長栄寺で発病されて、養生のため上洛して阿弥陀寺で保養されていたが、同年12月22日に遷化され、尊者の遺骸は遺命により、高貴寺奥之院、大師堂の側に葬られた。
慈雲尊者の霊廟
なお、慈雲尊者は22歳の時、貞紀和上から両部神道を伝授されているが、70歳頃から神道研究に本腰を入れられ、神儒仏の会通した「雲伝神道」(葛城神道とも)を提唱されるに至った。
その根本道場と定めた根本道場とした磐船神社は、高貴寺の西300メートルほどの場所にある。
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