『敦煌学五十年』神田喜一郎著
- 2016/03/01
- 19:32
『敦煌学五十年』神田喜一郎著(筑摩叢書版/1970年刊)
書誌学者で保守派の論客でもあった谷沢永一(1929~2011)が、生前何度も取り上げて激賞した本に、神田喜一郎(1897~1984)の『敦煌学五十年』(1960年初版)がある。
著者は、内藤湖南門下の俊才で、筑摩書房の『内藤湖南全集』には湖南の嗣子乾吉と共にその編纂に当たった。
本書は随筆集であるが、書名にある敦煌文書を扱った章は全体の三割程度で、その他は書評や著者が師事した学者の回想などを綴っている。
谷沢氏の著『大人の国語』(PHP研究所/2003年刊)よりその激賞ぶりを引用する。
「学藝随筆としてこれ以上の秀作は見出し得ないであろう。
神田喜一郎の『敦煌学五十年』(昭和35年)は、明治四十年前後から昭和十年ごろに至る四半世紀、京都大学の東洋史学が奇蹟的なほど豪華な花を咲かせ、名物教授が妍を競った時代を回想し、個性ひときわ鮮やかな群像を、端正にして情味あふれる筆致で描く。
活気に満ちた学問的雰囲気を、これほど慕わしく敬虔に語った表現は空前絶後である。」(20頁)
「現今当代前後五十年をつくづく見渡すところ、一世に抜きん出た名文家や、学識豊富な叙述の名手や、巧緻な論理を展開する名人や、いずれにせよ及ばざること遥かな俊才は数多いけれども、その文章に香気の漂う品格があって、読み進むうちに静謐な心持ちに落ち着く文章を書いた逸材は、選び抜いた揚句に、それは神田喜一郎であると私は考える。
専攻は支那学で、博学宏識は一世に鳴る。」(478頁)
「京都大学の支那史学卒業であるのに、いわゆる京都学派には終始一貫近寄らなかった。
京大では戦後に吉川幸次郎が日本中国学会理事長となって京大支那学をジャーナリズムへ主導する。
そこへ東北大学から桑原武夫が着任して、みるみる京都学派の威容を誇った。
彼らの学問が如何に空虚であったかは、『中国詩人選集』三十九冊を斜め読みすればわかるし、京大人文研の共同研究なるものの正体は、ルソー研究三冊に本質的な問題が取り上げられていないことにおいて明瞭であろう。
神田喜一郎は早熟にして広範に堅実な己れの学問に比して、吉川幸次郎なんて飾り立てるに急な浅薄そのものと見抜いていたゆえに、夜店のようにはかない京都学派を、遥かにひそかに軽蔑していたのであろう。
心ある人は『吉川幸次郎全集』二十五巻と『神田喜一郎全集』十巻とを読み比べてみられるがよい」(479頁)
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