『日本佛教語辞典』岩本裕著
- 2016/03/22
- 21:10
『日本佛教語辞典』岩本裕著(平凡社/1988年刊)
庵主は一応仏教徒の端くれであるが、大多数の日本人がそうであるように、文字通りの端くれの一人であって、葬式仏教徒の一員に過ぎない。
一般の葬式仏教徒よりは幾らかの知識は持ち合わせているかも知れぬが、それも甚だ御粗末なものに過ぎず、仏教学の断片らしきものが脳内を無規範に浮遊している程度である。
しかし、中国的な学問に深入りするようになると、儒・仏・道いずれの理解を欠いても、中国思想の理解が覚束なくなることに気付かされる。
畢竟、中国思想の根幹には儒教がある訳だが、仏教や黄老が隆盛を極める時代にはそれらが互いに影響し合って不可分のものとなってしまう訳だ。
儒教なら先ず必読第一の古典は『論語』になろうが、次に『孟子』に手をつけると、『荀子』にも遠からず触れることになり、それら戦国時代の思想を調べ出すと、嫌でも此処に黄老の思想が融合して来るので、『老子』や『荘子』にも手を付けざるを得ない。
漢代に入ると、老荘の系統と孔孟の系統とが表面的には対立していても、内部ではより一層結び付きを強めてくるが、そうこうするうちにインドから仏教が入って来て、今度は仏教も無視出来ないものになって来る。
今度は仏教が中国の在来思想と交流して禅が生まれ、更に宗教的傾向を強めて道教が生まれて来る、というように、結局はそれぞれが有機的関連を持つようになるので、結局は何れも無視出来ないものになってくる訳だ。
といっても、これら全てに通暁するなどということは、浅学非才の身の上なれば、容易なことではない。
必要に応じて、そのつど基本的な書物を引いて調べて行くしかないのが現実だろう。
そんな庵主が、仏教関連の事柄を調べる為に座右に置いているのが、今日ご紹介する『日本佛教語辞典』だ。
本書は、孤高のインド文学者であった岩本裕(1910~1988)が、四十年に渡る文字通りの“孤軍奮闘”の末に完成させたもので、収録語数は類書に比してさほど多くはないものの、これほど学者の良心を反映した公明正大な辞書はそうあるものではない。
辞書の多くは先行辞書の引き写しで書かれるのが常であるが、著者の独力で成ったという点で、分野は違えど本書は小西甚一(1915~2007)の『基本古語辞典』(1966)を彷彿とさせるところがある。
著者は、公田連太郎が“漢学者”と呼ばれるのを好まなかったように、“仏教学者”と呼ばれることを嫌い、あくまでもインド文化の研究者であり、文学者であるという立場を取った。
著述はそれほど多くなく、全五巻を予定して企画された著作集も二巻で中絶してしまっている。
本書は、遺作でもあり、著者は校正を終えたのち、刊行間際に急逝している。
庵主は、この稀有な辞典を今は無き長居の福永懐徳堂で購入した。
たしか、一万円くらいであったかと思う(定価は18000円)。
現在アマゾンでは、5000円程度で売られているようだ。
ところで、著者は東京理科大や橘女子大で教鞭を執った後、S大学の教授となったが、中公新書の『仏教入門』では、法華経を糞味噌にこき下ろしている。
岩波文庫版『法華経』の共訳者だったことから御声がかかったものらしいが、杜撰な人選をしたものだ。
ちなみに、庵主の乏しい経験から言わせてもらえば、S学会の『仏教哲学大辞典』は独善に満ちた酷い内容で、これほど読むに堪えない仏教語辞典もない。
岩本教授の辞典と一度引き比べてみるのも楽しかろう。
しかし、こんなオファーを受ける方も受ける方だ。
余程提示された条件が良かったのかしらん。
スポンサーサイト