宇井伯寿の墓
- 2016/03/25
- 21:46
宇井伯寿墓(多磨霊園)
一頃、なぜだか不思議と気になって仏教学者の宇井伯寿(1882~1963)を追いかけていた時期がある。
なにゆえそこまで気になっていたのか、今となっては自分にもよく分らぬが、初めて写真でご尊顔を拝した際、禅僧らしからぬモヤっとした内功の凄みに驚いたことだけははっきり覚えている。
味わい深いこの表情
三河生まれの人で、12歳のとき曹洞宗東漸寺で出家したが、余程頭の良い人だったと見えて、お寺に学費を援助してもらい、東大の印哲に進み、独英に留学して当時最先端の原典研究を学んで帰国、東大教授や駒大学長を歴任し、1945年には帝国学士院会員に選出され、翌年には昭和天皇への御進講を賜るという栄誉に浴した。
東大では木村泰賢(1881~1930)と共に高楠順次郎(1866~1945)に学び、卒業時は木村が首席、宇井は次席だったという。
学風は厳密極まりない文献考証を貫き、門下から中村元(1912~1999)を輩出した。
宇井伯寿供養碑(東漸寺/愛知県豊川市伊奈町縫殿58)
得度した東漸寺では、のちに第三十四世の住職を務め、本堂裏の墓域には「三十四世」と刻まれた供養碑がある。
この碑を供養碑と呼んだものか、はたまた卵塔と呼んで良いものか、庵主にはよく分らぬ。
正式な名称をご存じの方はご教示くださいm(_ _)m
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