コピー機、この有難きもの
- 2016/04/12
- 18:04
国会図書館の遠隔複写は大変有難いサービスだが、もっと言えば、コピー機というものに現代の我々はどれだけ助けられているか知れない。
一昔前なら、図書館などから借り出した書物を写すには、自分で筆写するしか無かったのだから。
書物が木版刷りだった時代は、本そのものが今のように安価ではないから、全項を筆写した涙ぐましい写本が多く存在する。
もっとも、昔の本は現代のそれと比べて全体に文字数が少ないので、よほど大部なものでなければ、それほどの労力ではなかったのかもしれないけれど。
何はともあれ、稀覯本のように入手が極めて難しい本でも、図書館等で複写すれば、容易に手元に置くことが出来るのだから、有難いことだ。
こんな当たり前のことでも、恩恵を受けられるようになったのは、つい最近のことだということを人は忘れがちではなかろうか。
勿論、良いことばかりでもない。
複写物を手元に置くと、読まずとも保険に入ったような気になって安心する人が少なくない。
現代人は書物に敬意を払わな過ぎると私などは思っているクチで、これは書籍そのものが低価格化したこととも無関係ではないだろうが、複写機の普及も原因の一つではなかろうか。
また、コピー機の利用法は、学問上では単に書物を複写するというに止まらず、条文比較など様々に使い道があるものだ。
東洞流の『類聚方』や『長沙正経証彙』のような書物は、複写物を条文ごとに切り抜いてアレコレ並べ替えれば容易く出来(完成度は別として)、最近ではこの手の文字通りの糊と鋏の仕事は軽蔑されるけれど、あれはあれで中々有効な勉強法でもあると思う。
最近では、5円コピー機を設置しているところも多く目につくようになって来て、私なども近所のハンコ屋とスーパーの設置機をよく利用させてもらっているが、もっと有効な利用法を模索していかねばならぬと思っている。
ところで、紙もインクも消費しないのに、スキャンサービスは何故あのような非人道的な価格設定になっているのだろうか。
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