森野旧薬園~漢方的奈良散策③~
- 2016/05/17
- 20:57
森野旧薬園(宇陀市大宇陀上新1880)
昼食の後は、言わずと知れた森野旧薬園へ。
とは言っても、恥ずかしながら庵主は或る理由で長らく行く気が起らず、今回が初めての訪問。
森野家の祖先は、吉野南朝に仕えたと伝えられ、大和国吉野郡下市に居住していたらしい。
初代兵部為定(?~1568)が、農業の傍ら葛粉の製造を始め、吉野の修験者の間に広まったことで「吉野葛」の名称が生まれたというから、随分古い話だ。
その後、数代を経て元和二年(1616)に、葛晒しに不可欠なより良質の水と寒冷な気候を求めて、現在の地に移住。
第11代の当主・森野通貞が薬草木を愛好して、屋敷内に栽培、これが幕府に知られるところとなり、幕府採薬使・植村左平次とともに、近畿一円、美濃、北陸地方の山野からも薬草を採取し、それらを幕府に献上、その報酬として当時は貴重だった中国産の薬草が下付され、享保十四年(1729)当時では唯一の私園・森野薬園を開設し、八代将軍徳川吉宗の国内産で漢方薬を普及させるという国策に貢献。
大正15年には江戸時代の面影をそのまま残している希少な薬園ということで、国の史跡指定を受けた(以上『森野旧薬園の栞』参照)。
園内に植えられた薬草たち
ウスバサイシンはちょうど花のシーズンで、参加者諸氏皆喜んで撮影されていた。
ただ、立て札はあるものの、シーズンでないものは、雑草と見分けがつかない方が多かったようで、この辺りはもっと配慮が必要だと思う。
正直、外観からはショボイ印象だったのだが、建物の裏山は結構なスペースがあって、色々な薬草が植えられており、中々楽しい散策であった。
しかも、栽培しているポイントから逃げ出したような個体が結構多く、それらは実に自然な雰囲気で風景に溶け込んでいて、参加者もとても楽しく触れ合っておられたのが印象的だった。
かつての葛粉製造施設
偶然だが、庵主は先月から葛粉で作る蕨餅風葛餅にハマっている。
砂糖で軽く甘みを着けたきな粉と絡めて食べるのがまた絶品なのよね、これが。
でも葛粉100%のは高くて買えないので、混ぜ物入り。
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